吉備舞(きびまい)について


PHOTO:吉備舞の夕べ

吉備楽の曲に舞を振り付けたものを総称して、「吉備舞」と称しています。
吉備舞は、岡山藩の楽人であった吉備楽創始者岸本芳秀によって、倭舞(やまとまい)京舞の要素を取り入れつつ、明治という新しい時代にふさわしい近代感覚を盛り込んで創作されたものです
明治の音楽として創作された吉備舞を伴う吉備楽は、視覚・聴覚に訴える、岡山県 吉備地方が生んだ総合芸術と言えます

金光教本部の春・秋の御大祭、十二月の報徳祭には、吉備舞が奉納されています。また、各地の教会でも記念祭・御大祭時などに奉納されています。
舞を舞う人を、舞人(まいじん)と呼びます。吉備舞を舞うについて特別な制限はありません。
本部祭場では、美しく化粧し、綺麗な装束(衣装)をまとい、冠をつけます。

吉備舞の装束には、2つのものがあります。


狩衣・奴袴
上衣を、「狩衣(かりぎぬ)」といいます。昔は、貴人が馬に乗って狩りをする時に着用した衣装ですが、常の服としても用いられました。袖口は、紐で邪魔にならないように、狩りのときは絞ります。
昭和五十八年、金光教教祖の百年祭以前の正服(教師の祭典時の装束)とほぼ同じ形をしています。

 下衣を、「奴袴(ぬばかま)」といいます。重めの絹織物で、染めています。
 紐下・裾を長く仕立ててあり、その裾を内側に引き入れ、紐で結んで長さを調節します。従って、大口袴よりはるかに着用身長の幅があります。
冠は、金色の冠(きんかん)が多く使用されますが、黒色(くろかん)または、装束の色によっては、銀色の冠(ぎんかん)も使用します。


舞衣・大口  上衣を「舞衣(まいごろも)」といいます。地紋入りの絹織物で単衣仕立てで、羽織るだけのものです。生地は薄く下の白衣・袴が透けて見えます。

 この袴を、「大口袴(おおぐちばかま)」といいます。略して、たんに「おおくち」とも呼びます。今では塩瀬の生地を染めて仕立ててありますが、かつては模様織り込みの豪華な袴とか、金銀刺繍のものもありました。袴の後ろ部分には、ゴザを入れて仕立ててあります。着用時は白帯をした背中に、木で作ったT字型の朱木を差し込み、それに大口袴の後ろを引っかけます。背中に約三センチ角、長さ三十センチあまりの棒を差し込むのですから、姿勢はよい訳で、しかも後ろ袴はしっかりと横に張り出しているので堂々としてみえます。
冠は、狩衣・奴袴のものと同様です。


吉備舞の世界

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