宇宙の響き −笙のこと−



 独特の和音を奏でる笙の旋律は、洋楽にはない魅力である。雅楽を知らない外国の人々にとっては、はじめて聞くと未知の不協和音でしかないらしいが、この楽器の音にどっぷりと浸かっているわれわれには、すこぶる心地よい。
 この音を聞いていると、時々「宇宙」を感じてしまう。「宇宙」という言葉をかえれば、人間の感情を超えたところにある「絶対の意思」とでも言えばいいのだろうか。
 人間の「感情・思い」を音にあらわしたものを音楽というのならば、笙の音は、まさにその対極にあって、細々したものをすべて解き放った大きな流れを知らしめる「理性」の音として感じるからである。
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 典楽の手ほどきを受けた頃、十七本の竹にそれぞれ小さな穴が開いていて、それを押さえると音が出て、離すと止まる、という笙の仕組みが不思議で不思議で、いろいろと考えたことがある。
 銀の輪をはずして、竹の一本を取り出してみると、「リード」と思われる部分は青く塗ってあり、その一部には蝋のような小さな粒がついている。「何だろうこれは?」。そしてそれぞれの竹の内側には、ちがう位置に長方形の穴が開けられている。「なぜだろう?」。また、十七本の竹の内二本には、リードがついていない。「なんで?」。当時、いろいろと興味は尽きなかった。そして現在においても私には、構造の理論的な仕組みがきちっとはわかってはいない。
 しかし、今から二千年以上も昔に、このような複雑な楽器が造られていたという事実。そして、目立った改良もされずに今日まで伝わってきたという事実から、この楽器のすごさ、確かさが感じられる。したがって、私にとっては非常に魅力的であり不思議な楽器なのだ。
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 雅楽のある女性演奏家が、笙の演奏は「密度と流れで聞かせるもの」と言われていた。これはたぶん、息づかいのことなのだろう。
 中正楽は、理性的な音楽であると私は思っている。この笙の密度と流れによって、秩序と安定がもたらされ、そして、その流れの上に、各楽器が積み重なって生まれる音楽ではないかと思っている。
 そうした意味で、笙の旋律は、ひとつの大きな流れを構成し先導していく、「宇宙の響き」、あるいは「天空の響き」とも言えるだろう。


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