我が典楽史(典楽会結成50周年を迎えて)
細江 智之(八ツ梅教会) |
|
|
今般、金光教典楽会において大きな節目となる典楽祭の奏楽員として御用をさせて頂く中、私の脳裡に様々な思い出がよぎりました。
私が幼少の頃、父は笙、母は筝の楽人として渋野先生から典楽の手解きを受けておりました。先生が岐阜に来られる時はいつも我家に宿泊され、私がご挨拶に行くと先生はニコニコ笑いながら幼い私に「坊はな、大きくなったらご本部で楽の御用をさせてもらわなきゃな」といつもお言葉を掛けてくださいました。 それから十数年後、典楽会東海支部結成3ヶ月前のある日、先々代教会長より「楽の御用のおかげを蒙らせて頂きなさい」との願いのもと、初めて龍笛を手にし、元典楽会会長小井先生と出会います。小井先生は龍笛の手解きは勿論のこと、「楽」に纏わる様々なお話を私に聞かせてくれました。 小井先生に出会ったその一週間後、先々代教会長はご帰幽され、告別式では初めて奏楽員として御用の大みかげを蒙らせて頂きました。それから五年後、前々典楽会会長林先生と出会います。林先生は私に「ご本部で典楽の御用をさせて頂きなさい」とお言葉を掛けてくださり、早々、先代教会長にお取次を頂き、先代教会長の願いのもと本部楽員認定試験を受けることになります。林先生は私の認定試験申込書を持ち帰り、その翌日ご帰幽されます。その後、本部楽員として御用をさせて頂く中で、多くの「師」と呼ぶべき先達者(私が勝手に「師」と思っているだけですが……)と出会います。 この記念すべき典楽祭において奏楽員として御用の大みかげを蒙らせて頂けたのも、現教会長をはじめ歴代教会長の「祈り、願い」の中での典楽に纏わる多くの方々との「お引合せ、出会い」によってもたらされた賜物であり、神様の御計らいである……と金光教典楽の歴史には及びませんが、我が典楽史(概略)を振り返りながらの奏楽奉仕となりました。 |