音律を考える − 雅楽の音律A −
2022-1-1 |
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平均律、ピタゴラス音律比較表
「ピタゴラスのコンマ」から「平均律」へ さて、音律はある基準音に対しての波数比で求められるが、きちっとした整数比ではなく、少数点以下の細かな数字が並ぶ値となっている。十二律の音階は一定の音高差による音の並びではなく、いわゆるある定数をもった等比の数列なのだ。 先に掲げた「平均律、ピタゴラス音律比較表」のピタゴラス音律下段をみてほしい。黄鐘の周波数比について、表の上では「1」として算出を始め、十二律が一回りすると黄鐘の周波数比は「2」となるはずなのだがこの表では「2.0272・・・」という数字になっている。どういうことかというと、このほぼ「2」である周波数比をピタゴラスは「2」として12の音を導き出した後計算を打ち切ったのだ。1オクターブ変わると、この差「0.0272・・・」の分行き過ぎてしまう。この「2」と「2.0272・・・」の比「1.01364・・・」は1パーセント強となる。このずれを「ピタゴラスのコンマ」と言うそうだ。オクターブを1200セントとして比較するとこのずれは24セントとなり結構大きい。(半音が100セントなので、半音の半分のそのまた半分弱といったところか) 洋楽では、このずれをA♭やE♭で吸収するらしい。ピタゴラス音律の最後に出てくるのはFであり、和声を重要視する洋楽はDF間が短くなるのは和声的に具合が悪いから、という理由だそうだ。雅楽律の場合、和声は使用しないので、十二律の一番最後に出てくるのは「双調」であるところから、「下無」「双調」間になるのか「双調」「黄鐘」間になるのかわからないが、どこかで吸収しているのだろうと思われる。こうしてオクターブ上の周波数比を「2」にしたのがピタゴラス音律であり雅楽律である。 このピタゴラスのコンマは、その後、音楽を研究する上で大きな課題になったと言えよう。この課題を克服するために様々な音律が誕生した。「純正律」や「ミーントーン」などだが、新たに誕生した音律も転調ができにくかったりするなど問題が解決された訳ではなかった。なお、ピタゴラス音律も転調の問題を抱えていた。こうした問題を一挙に解決したのが十九世紀から普及した比較的新しい音律である「平均律」だ。「平均律」は17世紀以降のヨーロッパで確立した。、調律の技術的困難さからその普及が遅れたが、ピアノという鍵盤楽器の登場により爆発的に広まった。。中国では16世紀、明の時代に平均律が登場している。日本でも和算家の中根元圭(1662〜1733)が12音平均律を作る方法を示している。インドでも12音平均律の存在が早くから知られていたという。 平均律の算出 ![]() つまり、ある数を12回繰り返してかけると2になるのだから。1回(半音)の周波数比は、12√2(2の十二乗根)となる。(ここらあたりはすべて数学になる。苦手な方は飛ばしてもらってかまわない)計算すると、1.0594・・・となる。つまり半音上がると1.0594倍周波数は上がる。半音二つ上がると1.0594×1.0594=1.1224・・・。半音三つでは1.0594×1.0594×1.0594=1.18021・・・となる、そして12個目で、2となる。(別表「十二律換算表中の平均律内「12乗根からの周波数比」参照」)現在のピアノをはじめさまざまなデジタル楽器は、このルールに従って調律されている。 平均律の特徴は、音の高さが均一になっているため、転調が容易であるということだ。そのためかどうかしらないが洋楽器は、十二音すべてが演奏できるように作られている。何オクターブにもわたり12音が備わっているピアノなどはその最たるものだ。偉大な楽器と言える。 一方、雅楽では「渡しもの」と言われる原曲から転調した曲があるが、十二律すべてを備えている楽器がないため、転調後の音が楽器に存在せず演奏できなかったり、他の音に代わりを求めざるを得ないため、原曲とはかなり違う曲になってしまう。転調と言うことはあまり考えられていないようだ。これは、たぶん和音を重要視する西洋と、音自体の音色や響き、旋律の変化などを重要視する東洋との違いでもあると思う。 以上、ピタゴラス音律、雅楽律から平均律についてまで概観してきた。その中で、とりわけ興味深いのは、ピタゴラス音律、平均律それぞれの音階に対応する音の周波数が、思っていたほど離れていないことである。雅楽で使用する主要な音と平均律でのそれは、平均すれば1〜3Hz、最大でも5Hzほどの開きしかない。同じ基準のチューニングピッチさえ示せばピタゴラス音律と平均律の差違はそう問題にはなりにくいレベルにあるではないかと少なくとも私には思える。ピタゴラス音律と平均律の差違による違和感は、個々人が与えられている音感に由来すると言えるのではないだろうか。 さて、現在洋楽と雅楽では、基準となる音律の周波数(チューニングピッチという)が採用されている。洋楽はA=440HZが基準ピッチであり、雅楽は、洋楽のAに対応する黄鐘=430HZが基準ピッチとなっている。先ほどのピタゴラス音律と平均律の差違に加えてのことだから、この10HZの違いは大きい。それぞれの基準ピッチを守ったまま共に演奏するのは困難と言える。はたして、この10HZの違いは必須なのだろうか、などと私は思うのだ。 音律に絶対的なものはない? たぶん、伝統として古来から受け継がれてきた音律なのだろうと思われるが、西洋では、基準が定まるまで、国や歴史、演奏形態など、さまざまな理由によってさまざまなピッチが使用されていたという。例えば、オーストリアやフランスをはじめ多くの国や団体では、A=435HZが多く使用されていた。それを国際標準化機構(ISО)による国際会議で1955年にA=440Hzが採択された。なお、この基準には拘束力はなく、絶対的な法則性があるのでもないとのことだ。 たぶん、国や団体の代表者が集まって多数決で決まったのだろう。今日、ピアノのチューニングでは、現在A=442Hzが主流になっているそうだ。オーケストラのチューニングも442Hzを採用することが多いと聞く。その理由は、ピアノも含めた弦楽器の弦の張りの問題で、チューニングを高くすればその分弦も張りがより増し、音が大きくパンチの効いたものになる、ということからだそうだ。それにしても世界的な基準が1955年に決まったとは、すこしびっくりした。やはり音楽において絶対的な基準音というのはないのだと思う。要は、それらの音楽が交流していく為の申し合わせということだろうか。 一方、雅楽の世界では、天皇家に関わる宮廷祭祀を司る雅楽寮を主流として、社寺に関わる様々な団体が伝承していくが、それぞれに基準となる発音器(基準音を発する笛のようなものか)があり、めいめいの団体がそれに基づいて調律を行っていたようで、全体を統一しようとする機運はなかった。基準ピッチの統一は1968年を待たねばならなかった。ここで、黄鐘=430Hzに決められたのだ。これも絶対的な理由があっての基準音ではない。 つまり、洋楽も雅楽も、さまざまな人々が同じ場で演奏できるよう調えた環境がこの440Hzであり430Hzであったといえる。とすれば、洋楽と雅楽を隔てる10Hzの壁も取り除くことは不可能ではない気がする。もし、このような動きが出てくれば、独自の響きや音楽性が損なわれるとして反対の立場をとる人たちも少なくないだろうが。 現在、洋楽との合奏では、雅楽器が洋楽の基準音まであげて演奏することがモッパラだ。篳篥は1音孔の音の幅が広く10Hz高い音律を演奏することは可能だが、笙は洋楽用に調律しなければならないし、龍笛も10Hz高い音律を演奏するのは困難だろう。現在聞くところによると、440Hz用の龍笛が製造されているらしい。雅楽器を洋楽器の混成に一定の需要があるということだろうか。 しかし、現在の洋楽と雅楽のセッションは洋楽のピッチに合わせて行われているのが現実だ。また、それを行うにもそれなりの準備が必要なのも現実であろう。でも、いつかは普段の練習の延長として当たり前のようにピアノに合わせて篳篥や龍笛が主旋律を奏で、琴の伴奏にのってバイオリンが旋律を歌う、そんな日がくるかも知れない。それは決して悪くはない、と思うのだが・・・・。 参考文献 押田 良久 『雅楽への招待』 小方 厚 『音律と音階の科学 ドレミはどのようにして生まれたか』 ※ 本記述は、本HP管理人の私的なものであり、典楽会としての公的な見解ではありません。 |