記念曲制作ものがたり
その23 新曲、到着する

年が明けた2004年。この年の12月9日、地方団体(現各種団体)金光教典楽会が誕生した。本来ならばこの年に記念式をすべきなのだが、1番近い本部練習会の日程に合わせるということで、2005年2月となっっていた。

新曲の制作スケジュールは、もう半年ほどずれ込んできている。
1月いっぱいでということで、作曲者のY氏はがんばっていただいているようだが、その末日に「もう少しお待ち下さいメール」がきた。メールの文面から推測するに、かなり悪戦苦闘されているようである。雅楽と洋楽というピッチ自体がちがう音楽を結びつけ、それぞれの音楽性を損なうことなく、ピッチも変えずにいっしょに演奏できる曲を創るという、ある意味では無茶な注文なのだから仕方ないだろう。思わず「ご苦労様です」とつぶやいてしまう。

今回のメールでは、3曲の調性をすべてDdur(ニ長調)に設定したという。それは典楽の特性からと誰でも歌える音域を考慮したところからであるという。
反面3曲が同じ調性ということから、変化がないのではという危惧も書かれていたが、私にしてみれば聴いてみなければ分からない。楽しみに待つだけである。

>了解しました。
>期限までにできたとしても、それが作曲者の意に添わないものであるならば、
>意味がありません。
>どうぞ、納得できるものを完成させてください。

>気長に待っています。

と返事を書いた。まさに気長に待つしかない。
そして、そのとおり気長に待っていた3月4日、Y氏からついに「完成メール」が届いた。

メールの件名は「長らくお待たせしてしまいました!!」となっていた。
感嘆符が2つもふってある。Y氏も「やっとできた」という思いであったのだろうか。その裏にあるであろう、新たなものを創造する上での産みの苦しみに思いが及ぶ。

メールを読ませてもらう。案の定、技術的な制約がことのほか大きく、かなりの不安、とまどいの中で取り組まれてきたことがわかる。
こちらの希望する新曲の中身が抽象的な説明に終始し、具体的なイメージとしてY氏に伝わりにくかったのが、一番大きな要因ではなかったか。もっとこの新曲の主旨について、我々も作曲者も時間のないお互いではあるが、もっとじっくりと話し合う時間をかければよかったと思った。

技術的な面においても、調性の問題や箏・打楽器の音型により制限が大きく、Y氏の言葉によれば「限られた技術、限られた使用可能な音型の中で、かつ覚えやすいもの親しみやすいもの、となると自由な発想がどうしても羽を広げられない状況になり、本来の私ならばもっとこうしたいのに、といったアイディアをことごとく却下しなければならない連続」であったという。
本当にご苦労をかけたなあ、という思いとともに、こうしてできた典楽と洋楽の融合に向けての足がかりを、しっかりとした歩みにしていかねばならないことを痛感する。

そして、その日の午後、3曲の楽譜が入った分厚い封筒が、速達により私の元に届けられたのである。