記念曲制作ものがたり
その20 笙の和音を考える

前回のメールを出したのが9月13日。その返信がY氏からきた。
後便で送ったMDの感想が主な内容である。

やはり笙の合竹については、西洋的な和声から笙の譜を考えられていたようである。無理もないのだろう。それだけ笙という楽器は、西洋音楽的な視点からみれば不協和音のかたまりなのだから。
今回も、作曲者は不協和音はまずいとの思いから、西洋音楽の視点で協和する音の構成を考えた結果が、笙の3本吹きのような形になったという。
送らせてもらったMDには、試しに笙の合竹をこちらで付けてみて演奏したものも入れておいた。
Y氏にとっては、けっこう興味深かったようである。メールには、合竹の方が典楽の響きが出ていて良かった、との感想が書かれていた。

それにしても笙という楽器は不思議なものだ。西洋音楽での和音という次元ではくくれないところにある楽器とでもいうのだろうか。
外国の人たちは西洋音楽の和声に慣れているから、笙の響きはすごく異様に感じられると、何かの本で読んだことがある。我々にとっては、あの響きがいい。すごく日本的、東洋的に感じられ落ち着くのだ。

たぶん新曲を書き進めていく中で、笙を合竹で用いてくれそうな感触をもった。そうなれば、がぜん我々の手元近くにで演奏することができる曲となるのではないか。

いろいろに膨らむ期待とどのようなものができてくるのかという不安が交錯しながら、作曲者は創作期間に入り、典楽会としても会合等が持ちにくいところから、しばらくの間、休息というか、静かで穏やかな期間を過ごすことになる。