記念曲制作ものがたり
その10 調性を考える

雅楽にも「六調子(平調、壱越調、黄鐘調、盤渉調等)」といわれる調性があることは知っていた。ただし、洋楽的なきちっとした法則に従って作られているものではないようで、楽理として説明することが難しく、また慣れないと聴いてすぐわかるものではないらしい。雅楽は調性の音楽ではなく、旋法の音楽であると言われる所以である。

今回の「神人の栄光」はニ長調(Ddur)「いざもろともに」はト長調(Gdur)となっている。作曲者が言っていたが、洋楽と典楽などの邦楽が歩み寄れる調性は、#(シャープ)系の調性で、2つまでがいいそうである。
そう言えば雅楽が洋楽におじゃまできる調性は、ト長調(Gdur)、ニ長調(Ddur)、ホ短調(Emoll) 、ロ短調(Bmoll)の4調である、と書かれていたのを見た記憶がある。2曲の調性は、まさにその範疇にあるので、理にかなっているのだろう。これまでもたくさんの人たちが研究してきたのだろうか?もっとも、洋楽からのアプローチからすれば当たり前のことなのかもしれない。
典楽の中では、調性など意識することはなかった。必要がないからだ。他の楽器の音に気を配りながら楽譜に書かれている音を唱歌が示すように吹く。それだけだった。
典楽と洋楽とを融合していこうとする営みには、こうした調性を含めた洋楽的な楽理が欠かせないものになるのだろうか。
年配の楽人からすれば、たぶん気後れする世界になるような気がしてきた。それだけは、何とか避けねばならない。通常の典楽譜と同じような譜になれば、何とかなるのだろう。

さて、和楽器ではあまり調性は関係ないが、決定的に影響を受けるのがコーラスのパートらしい。作曲者も調性の決定には悩んだという。その結果の編曲であるが「いざもろともに」のソプラノパートの最高音に「ソ(G)」の音が出てしまったという。「神人の栄光」を見ると「ファ(F)」が出ている。
私の場合「ソ」の音は高くて出ない。ソプラノパートだからほぼ主旋律である。つまりこの調性での「いざもろともに」は歌えないということである。「ファ」も正直きつい。
「神人の栄光」で言えば、この曲の本来の調性は「ニ長調(Ddur)」であったとM氏から聞いた。その後「音が高すぎる」という声が出て、作曲者自らが「ハ長調(Cdur)」に下げたという。その後、ブラスバンドでの伴奏による編曲を経て、現在我々が歌っている「ロ長調(Bdur)」になったらしい。これなら、お年寄りでも歌えるということである。

それにしても、「神人の栄光」を本来の調性「ニ長調(Ddur)」でアレンジするとは。
この曲の作曲者は、ご存じのように尾原道春。尾原楽長の息子さんである。当然典楽にも造詣が深い。もしかすると邦楽的な響きを考えての「ニ長調(Ddur)」であったのではないのだろうか。さらには、典楽での演奏を考えての「ニ長調(Ddur)」ではなかったのか、などと考えてしまう。
同じ調性を選び取った作曲者のY氏って、やっぱりすごいのでは、と思った。