記念曲制作ものがたり
その7 アレンジ曲受領

作曲家のY氏からメールが来た。アレンジ曲を発送したという内容のメールであった。他にも、今回の編曲の際に感じた笙の合竹の問題や、和声のこと、調性のことなどが書かれてあったが、とりあえず楽譜の現物を見ながら読み返そうと思った。
3月26日、楽譜が到着した。きれいでダイナミックな文字で書いてある。
封筒を開けながら「いよいよこれから始まるなあ」という実感が湧いてくる。それは、未知の世界に踏み込もうとする期待感、そして不安でもあった。

すべて五線譜である。やっぱり典楽の楽譜への変換は、こちらでやるしかない。典楽の楽譜など見たこともない作曲者だけに、当然といえば当然であるが、こちらとしては何も考えていなかっただけに、その担当すら決めていなかった。4月6、7日Y氏来光の際に是非とも音出しをしたいという願いもあり、日はあまりない。他に頼む相手もすぐには見つからないし・・・・・。誰に?という答えはすべて私を指していた。「しゃあないなあ」
ただ、その頃はちょうどいろいろとバタバタしていた時である。また、典楽会の記念冊子の草稿にも取りかかっていた。

とりあえず、すぐには手をつけられないが、パラパラと楽譜をめくってみる。気になったのは笙と箏のパートである。
笙は、通常の合竹ではないようだ。前のメールを読むと、雅楽の規則ではどうしても西洋の音楽の響きとは相容れず実質上美しくないので、西洋の響きで書いた、とのことであった。
「むむっ、これはまずいぞ」
笙と箏は、定石的な奏法が主となっている。とりわけ笙は合竹が楽譜進行における主な構成単位であり、これを解体すると奏者はたぶんついていけないのではないか?1本吹き、2本吹きまではかろうじてできるが、今回提示されたものは、パターン化されていない3本吹きの世界なのである。
「これは吹けんじゃろう」。そう思う一方で、典楽を洋楽的なアプローチですり合わせようとすると、こんな手になるのか。洋楽的には笙の合竹は、よく言われるように不協和音の塊なんだなあ、などと感心してしまった。

箏の楽譜も同様である。一定の類型パターンは確認できるが、それは我々が見慣れている早掻や静掻等とは別のものである。たぶん雅楽に伝わるものだとは思うのだが・・・・。
前もって、言っておけばよかったなあ、とつくづく反省した。典楽解説書を送っていたので安心していたのだが、そう言えば定石的な奏法についてはあまり触れていなかったような・・・・。我々としては、当たり前のことであっただけに、そのギャップの大きさに思いが及ぶ。「根本から確認していかねば」と強く思った。

まあ、このような齟齬を埋めていくための編曲なのだから、問題が出るだけいいことではないか。それを一つ一つ確認して、新曲に反映していただければ。いつしか、きわめてポジティブな姿勢へ変化している私。これはこのまま楽譜化し、検証をした上で、その反省を新曲に生かせる。などと思いつつ、別の作業を進めるべくその日は封筒にしまいなおしたのである。