記念曲制作ものがたり
その6 作曲者を本部に

作曲者のY氏に本部へ来てもらいたい、という願いは当初からあった。ただ、東京からわざわざ来て頂く事への遠慮と経費的なこともあり、私自身は消極的だったと思う。
ところが典楽会での相談では「ぜひ本部の祭典に参拝していただきたい」との思いが大勢で、それならばと、出向をお願いすることになったのである。
企画書の体裁ができていくに従い、こうした宗教的な音楽を創ってもらうには、本やCDも大切だが現場でその雰囲気を感じてもらうことが一番であろうとの思いも強くなる。要は作曲者のスケジュールだが、M氏に調整していただくとして、こちらの希望は、2003年の4月の天地金乃神大祭期間中でお願いしてもらった。叶うならば第1日の3月30日がいい。会長と会内で検討をしていく組織となるであろう典楽審議委員会の委員長がその日奉仕の予定だからである。
しかし残念ながらその日は都合がつかず、結局第3日の4月5、6日にお越し頂けることとなった。まずはOKである。

そのころ、M氏から不穏なメールが・・・・・・。
作曲者から、今回の楽譜を五線譜でつくっていいか、という相談があったというのである。
何でも宮内庁の雅楽師が知り合いで、その方に聞いたところ、五線譜でも大丈夫だと言われたそうである。
おいおい、宮内庁のエリートなエキスパート集団と我々べたべたなアマチュア集団をいっしょにしないでくださいな。五線譜を見ただけでジンマシン出る人もいるかも、と真面目に考えるほど五線譜に拒否反応を示す人は多いのである。たぶん、典楽を神様の御用として取り組んでいる方々が大勢で、彼らにとって典楽も音楽であるという意識が薄いと思われるところからだろうか。
しかし、M氏は我々の演奏レベルや平生の演奏などを細かに、作曲者に説明してくれた。まあ一安心なのだが・・・・。
ひとつ課題が残った。恐ろしくて聞けない課題である。はたして創られた曲を、典楽の譜にするのは誰でしょう?という課題である。
私はてっきり雅楽の楽譜でくるとばっかり思っていたが、状況は微妙な雰囲気。
どうなるんだろう?まあ、その時になれば、何とかなる。きわめて楽天的な私であった。