先生との初めての出会いは、25年前に住道教会でのお箏の稽古におじゃました時です。初めはなかなか打ち解けにくかったのですが、指導していただくうちに仲よくさせていただきました。頼むからお稽古してと、くせが直るまで根気よく指導してくださいました。稽古が済むとすっかり打ち解けてお話しくださいました。「耳も指も体も神様の御神具だから大切にしてお礼申しなさい」と会うたびに言っておられました。
平成19年の8月頃より、食事が喉を通らなくなったとおっしゃられるようになり、審議委員会の時も、にぎり寿司二個がやっとという状態でしたが、それでも審議の御用を一生懸命務めておられました。その後入院され、先生のことだからきっとよくなると奇跡の回復を願い、祈っておりましたが、それも叶わずお国替えされました。
先生は、ご闘病中も朗らかで前向きでした。病院で「痛い、つらい」という言葉はおっしゃられず、亡くなる二日前にお見舞いに行った折に、「先生! 帰るね!」と言うと、もう言葉も出ない状態のなかで、左手を高くあげ、バイバイと何回もされておりました。
自分に厳しく、御用の大切さをよく知っておられました。先生のお側で、もっと真剣に勉強していたらと後悔しております。また、先生がいつも持っておられた、典楽の道を広げたいという願いに、私もお役に立たせていただきたいと思います。
亡き先生を偲び、お世話になった数々の出来事にありがたく厚く御礼申し上げ、ご冥福を心からお祈りいたします。 |