巻頭言
「 稽 古 」
    金光教育成部長・金光教鹿野上教会長 岡 成 敏 正

育成部長室には、縦61センチ、横130センチの刻字と呼ばれる大きな額面が置かれ、そこには、右側に大きく「稽古」と、左側には「くりかえす 稽古のなかに おのづから 生まれ来るなり 新しきもの」という四代金光様のお歌が記されています。

これは、私が御用を頂く以前から置かれていたものです。そのため、この額面が、御用当初から私の目に入ってきて、いつの頃からか、その「稽古」という文字と、四代金光様のお歌が私の心に強く響いてくるようになってきたのでした。

このお歌は、繰り返される「稽古」によって勝れた芸術や技術が生まれるように、この道の信心でも「繰り返す稽古」が大切だと諭されたものです。このお歌に四代金光様の親様に関わる数々のお歌を加えて拝察いたしますと、四代金光様は、絶えず親様である三代金光様のご信心やお姿に照らされながら、ご自身の信心や御用姿勢を今月今日で糾し続けていかれる「稽古」を進められ、その「繰り返す稽古」の中から、「世話になるすべてに礼をいう心」を土台とした信心や生き方の大切さを指し示してくだったのです。

そして、私たちは、その導きによって自らの生活を整えようとする信心を求め、今日におかげを頂いてきております。あるいは、各教会のお広前で、この四代金光様の教えを元にしたお取次が進められ、どれほど多くの人がおかげをこうむられてきているか。そのことを思いますと、「生まれくるなり、新しきもの」という中身の尊さを思わせられます。

そうして、四代金光様のみ後を受け継がれた現教主金光様は、「できるからするんじゃあない。できない御用の稽古をさせていただく」と仰せられ、今にその心持ちをもって一筋にご神勤、御取次くださっているのです。

振り返って、ご本部の御用は、当初の私にとって、まさに新たなことの連続でした。だからこそ、「稽古」という言葉が身につまされ、自ずと四代金光様のお歌を頂いて取り組むようになっておりました。そのうえで、現教主金光様ご神勤のお姿を拝し、最近では、今月今日の「稽古」を求め続けることの厳しさが身に染みてきております。今の自分の稽古は、果たして、どうなっているのか。「新しきもの」が生まれてくるような「稽古」になっているのかと考えさせられるのです。

立教百五十年のお年柄をお迎えし、歴代金光様が求め現されてきた「稽古」を頂き直し、信心成長のおかげをこうむってまいりたいと願うばかりであります。