巻頭言
「音楽奉仕」


    金光教布教部長 金光教白金教会長 和 泉 正 一

本部広前祭場で仕えられるご祭典時に、私は、合唱奉仕される方々のお世話の御用を頂いています。ご祭事にあたって、典楽奉仕される方も、合唱奉仕される方も、前日の習礼からお集まりくださり、音楽を通して御用にお立ちくださることは、まことに尊くありがたいことと思わせていただいています。私も時折、合唱奉仕の方々に混じってお道の歌を歌わせていただきますが、各地からご参集の皆様と共に、金光様ご祭主のご祭典で御用させていただけることは、まことに嬉しくありがたいことです。
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ところで、典楽にしても合唱にしても、音楽奉仕される方は、常に稽古に取り組まれます。技量を向上させるために銘々に稽古されることはもとより、大勢で勢を揃え、和を調えるための稽古にも精進されます。それは、ご祭典にあたって、少しでも良いものをお供えされて、天地金乃神様 生神金光大神様、ご霊神様にお喜びいただくことを願ってのことと、私は拝察いたしております。そして、少しでも良いものをお供えされるために、上手な人は上手なりに、上手でない人は上手でないなりに稽古される、その根底に流れるのは、教祖金光大神様の「これですんだと思いません」というみ心ではないかと、これも拝察いたします。
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四十二歳の春、のどけの病を患われた金光大神様は、「…凡夫で相わからず。方角見てすんだとは私は思いません」と仰せになって、神様の大きなおかげを頂かれました。そして後々には、思いもそめない生神の道が開けゆくこととなられたのです。その金光大神様のみ心を今に頂いて、私たちは「これですんだと思いません」という心を大切に信心生活を進めています。
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 これで済んだと思わない生き方は、神様の仰せどおりにして、常に自己変革を続けていく生き方と言うことができるでしょう。あるいは、自らの人生に限りない可能性が開けてゆく生き方と言っても良いかも知れません。おかげを頂くことを目的に稽古するのではなく、これで済んだと思わずに稽古に精進して、後のことは神様、霊様におまかせする。
 果てしない茫洋とした、向こう開けっ放しの世界に歩みを進める気概で稽古に稽古を重ね、精進に精進を重ねて御用に臨み、神様、金光様、霊様に喜んでいただくと同時に、ご祭典に参拝される方々に、生きる希望、勇気、力を得ていただけるようなことであれば、何よりの音楽奉仕であろうと思わせていただいています。