巻頭言 |
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「真の信心も妙なる調べも繰り返す稽古から」 金光教教会部長・金光教大口教会長 安武秀信
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ある先師が、「取次者は、相手の心に真が生まれるまで御理解をしなければならない」と言われた言葉が、印象深く私の心に残っています。
「手や口は手水鉢で洗うても、性根は何で洗いなさるか。実意丁寧の真でなければ洗えまいが」「真の信心をさせるのが神への御礼ぞ」と教祖様は教えてありますが、この先師は、実意、真という内容を生涯かけて求め続けられ、参り来る人々にも繰り返しそれを説き続けていかれました。 このことは、前記の教祖様の教えに照らしても分かるように、取次者が取り組まねばならない大切な取次の内容であろうと思いますが、一面大変難しいことでもあります。そこでまず、我が心を真で洗うということに取り組むことになるわけですが、これがなかなか難しく、「繰り返す稽古の中に自ずから生まれくるなり新しきもの」との、四代金光様の御歌のとおり、教えを土台に繰り返しの稽古以外ないように思います。 ○
「あなたの都合に神様を合わせるのではありません。神様の都合にあなたを合わせるのです」とは、二十六歳で教師となり、布教の第一線に立たせていただいた私が、一年後には行き詰まり、「少しもありがたくありませんが、いかがいたしましょうか?」とお届けした時に、四代金光様から頂いたお言葉です。
表面的なことや目先のことが気になり、真とはほど遠い自己中心的な考え方をして、将来に不安を抱いていたその時の私には、そのお言葉の尊い意味は分かりませんでした。しかし、ありがたいことに、様々なお道の働きを頂き、気が付くと、段々と神様に合わせる方向に導かれていました。気が付くと、と申しましたが、気が付く前も気が付いた後も、意識するしないにかかわらず、教えを基に「繰り返す稽古」の日々であったように思います。 ○
「雅を取り俗を去り古今を折衷して、音譜新に成り、専ら金光教礼典に用ふる楽となす」との、初代楽長尾原音人師の言葉は、吉備楽を修め雅楽を学び、やがて、金光教祭典のための中正楽を創作していかれる師の産みの苦労と覚悟からの言葉ではないかと思うのですが、新しきものを生み出すため、どれほどの繰り返しの稽古がそこにあったことかと思います。
「十回稽古した人と、千回稽古した人の差は、微妙な間や調子の違いや音の響き等、又演奏自体の品格の差ともなる」とありますが、典楽の調べといい、真の信心といい、先人の苦労に学び、手本や教えを基にして稽古を繰り返し、そこから生まれる妙なる調べ、そして霊妙なおかげの世界を、これからも求め続けていきたいものと願う次第です。 |