巻頭言
典楽ご用は信心と一如ぞ


金光教学院長・金光教金岡教会長 岩本 世輝雄 

吉備舞の夕べ(於:修徳殿)
私は、今年四月、本教の教師養成機関である金光教学院のご用を拝命し、ご霊地にあって、若々しい学院生にまじり、四十数年ぶりに学院に再入学した思いで過ごしております。
 参拝や御祈念、祭典作礼等、長年の間に我流になったり、変なクセができているわが身と、ご用精神など、あらためて基本のあり方に照らしつつ、修行のし直しをさせられております。学院生は、本部広前の修行生として、学院生活一切を信行と心得て、種々の修行に熱心に取り組んでおりますが、学行の選択教養科目の中に「典楽」があり、約半数の学院生が、龍笛、篳篥、笙、箏等の稽古に励んでおります。
そのおかげで、学院の秋季霊祭、更に生神金光大神大祭時に、その成果を発揮し、すばらしい合奏をもって祭典ご奉仕ができ、真にありがたいことでした。
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 今から四十数年前、私も学院時代、二年間、主に龍笛を習いました。当時の講師であられた井上良次郎先生に、いつも厳しく「基本に忠実に」「典楽ご用は信心と一如ぞ」と叱咤激励されたものです。
 その井上先生というお方は、初代楽長であられた尾原音人師の直弟子として修行され、生涯かけて典楽の道を求め、極めては、学院にて、昭和三十四年から十二年にわたって嘱託講師をお勤めになられ、本教祭典のご用一筋に典楽人生を貫かれ、昭和四十八年に尊いご一生を終えられました。
 私は、今学院で、典楽稽古の音を身近に聞かせてもらうこととなり、改めて、恩師、井上師のありし日のお姿として、右ヒザで調子をとりつつ、お得意の篳篥を、ほっぺをいっぱいにふくらませ、真っ赤な顔をしながら、名調子を奏でられていたことどもを、なつかしく思い出します。
 又、稽古中、「拍子に合わせ!」「調子がはずれている」などと大きな声で注意が飛びました。普段に「基本どおりに!」「我流を出すな」「毎日、笛を口から離すな。一日離すと、元のもくあみぞ」と、ご自身がいつも心がけ、実践しておられることをもって教えて下さいました。
 私自身は、学院卒業後、大阪の金岡教会のご用に着任し、爾来四十二年、直接、龍笛をもって典楽のご用に当ることはありませんでしたが、典楽のご用精神は、祭典をお仕えする立場にあって、いつも心に生き続けています。
 本部の典楽は、お道の信心そのものであり、祭典とは一体不離のものであることを、あらためて味わい直させられている今日この頃であります。