有形から無形へ −吉備舞と剣道−
金光教東北教務センター所長 金 光 栄 雄

先日、教会ホールにて家内と共に二人の女の子が吉備舞の稽古を始めました。秋に迎える記念祭に奉納するためです。楽曲は、「天地の開けし世より天津日のもとつ御国は曇らざりけり曇らざりけり」の歌詩の『天地(あめつち)』です。
 まず舞扇の名称から扇の持ち方、構え、立ち姿・座り姿、歩き方など一つ一つ示範を受けて学び、そして、音楽を流しての稽古となりました。初めて行う子たちであるので、当然ぎこちないわけですが、素直さと一所懸命さがあり、秋の祭典が楽しみです。稽古を繰り返し繰り返し積み重ねることによって、所作が自然としなやかになっていくことでしょう。

 尾原音人初代金光教楽長は、少年時代に吉備楽の稽古と共に剣道の稽古にも精励していたそうですが、私も現在、小中高校生を始め大人まで指導する剣道教士の立場にあります。はや剣道を始めてから四十年になりますが、御用のかたわら、稽古を続けています。教えつつ教えられ、教えられつつ育てられています。元治元年のご神伝にある「あいよかけよで頼み合ひいたし」の心で取り組んでいます。
 ところで剣道は、ただ単なる竹刀の棒振りではなく、身法・刀法・心法と法則、道理に則って修練します。特に、現代では形として「日本剣道形」が制定されており、太刀の形七本、小太刀の形三本と、その動作、打突などが細部にわたり決まっております。その形の修得、稽古により呼吸を正し、姿勢を正し、心を正すことを心掛けます。形を意識し、繰り返し覚えることによって、身体が自得して、自由に太刀を使えるようになるのです。そうなるために、「有形の技をもって無形の心を磨く」不断の稽古が欠かせません。

 初代尾原楽長は、「予は、楽を以て金光教を広めん」と願われ、また、「吉備楽中正楽を以て神人の和楽をはかり兼て社会風教の上に些(いささ)かにて益せんことを志すのみ」と申されました。その願いを踏襲し、今日の金光教典楽会活動が推し進められ展開してきていることは、真に尊いことに存じます。
 今般、身近で吉備舞の稽古を見学し、剣の道の眼差しとも相まって、先々、「有形から無形へ」と昇華して美の姿を追求せんとするイマジネーションをかきたてられました。吉備舞を「神様の御用」として取り組むことによって、「神様のお供え」となり、「神人和楽」の世界が現出されれば、この上ない喜びであります。さらなる全国各地における吉備楽中正楽の勃興を期待し、遍く、金光教音楽文化の興隆をここに願う次第でございます。