比叡のお山に吉備楽響く = 世界平和を祈願して=
                            岡田典明(中近畿・大友教会)


昨年10月21日に、比叡山延暦寺において、『天台宗開宗一二〇〇年慶祝平和祈念会(きねんえ)』が開催され、この催しに東近畿支部と中近畿支部から約20名が参加し奏楽と吉備舞を行いました。以下、その詳報を掲載します。( 金光新聞 平成17年11月27日号に関連記事が掲載されました)






 日本仏教の根本道場たる比叡山延暦寺に金光教典楽会による吉備舞が奉納され、人々の感動を誘った。
 その日、紅葉にはやや暫くの感がある、比叡山延暦寺の境内は久々に晴れ渡り、澄み切った空気と静寂が、やがて執行されるであろう一山始まって以来の儀式を待っていた。

 大書院に集結した一行は隊列を整え、笙、篳篥、龍笛の三管による道楽(みちがく)の奏楽に合わせ、ようやく移動を開始した。まるで時代祭りの行列を見るような華やかで色とりどりの衣装。それでいて祭りの行列とは異なる、三管の響きと厳粛な参列者の歩みに、居合わせた観光客も思わず足を留め言葉を慎むほどであった。行列のめざす所は、根本中堂(こんぽんちゅうどう)と呼ばれる延暦寺の中心伽藍(がらん)のそのまた中心てある内陣だ。

 延暦寺は伝教大師最澄によって開かれた天台宗の本山であることは誰しもが承知していることではあるが、延暦寺はひとり天台の本山と言うだけではない。源信、法然、親鸞、道元、栄西、日蓮、一遍など、仏教の各宗祖の皆若き日にこの山で学んだ。延暦寺が日本仏教の根本道場とよばれる所以である。この内陣の最深部には伝教大師以来消えたことがない灯火が守り伝えられているそうだが、まさに日本仏教界の生命の灯と言ってもよいだろう。

 延暦寺のみならず、仏教界の最も重要な宗教施設であるこの内陣で、わが典楽会は金光教の祭典楽たる中正楽を奏し、吉備舞を奉納する機会を得たのである。延暦寺にとっても金光教典楽会にとっとも画期的な出来事と言ってよいだろう。

 この催しは、宗教間対話・宗教協力による世界平和実現を目指して結成された、世界宗教者平和会議(WCRP)の日本青年部会が主催する、天台宗開宗一二〇〇年慶祝平和祈念会という行事であった。WCRPには結成以来、仏教、キリスト教の各宗派をはじめ、神道、新宗教など多くの宗教が加盟しており、金光教もその例外ではない。否むしろWCRPの結成とその活動に多大な功績を残されたのが、他ならぬ金光教泉尾教会の初代教会長三宅歳雄師があったことは思えば、典楽会がこの会議の催しに参加させて頂くことになったのは、まさにご時節というほかない。しかも現在、日本青年部会の幹事長は三宅道人師(常盤台教会)であり、今回の出楽も三宅先生の厚きお祈り添えとご尽力によって実現した次第である。

 さてその平和祈念会の模様であるが、先に中陣に座を占め、開式を待つ各宗教のスタッフや信者などの参列者(仏教では随喜者という)の耳に龍笛の幽かな音色が響き、道楽に導かれた行列が次第に根本中堂に近づくのを知る。

 その後行列の一行は、わが典楽会の奏でる中正楽に導かれ、中堂の内陣に着座した。この場は平素は一般人の立ち入りが許されぬ聖なる場として位置づけられており、今回天台宗はもとより、仏教各派、神道、キリスト教と金光教の合わせて十教団がこの場において、それぞれの儀式にのっとって平和の祈願を実施したのである。その中で金光教からは先に紹介した三宅道人先生が幹事長として慶祝の辞をのべられ、平和の祈りを金光教白金教会の和泉一義先生が典楽に合わせ、装束、儀礼とも金光教式で仕えられたことは、その場に居合わせたお道の信奉者のみならず、他宗の人々にも感銘を与えたようだ。なぜならば祭典楽を持つ本教だけがその日典楽を伴った儀礼を行ったからだ。

 ともあれ、生神金光大神の御名を根本中堂の内陣で唱えることになろうとは思いもよらないことであった。そして、その日のクライマックスは、天台宗の声明と弓矢八幡宮による獅子舞に続いて行われたわが典楽会による吉備舞の奉納であった。「四季の眺」という比較的長い曲目が演じられたが、優美で格調高い舞いを導く、地方の歌と筝、笙、龍笛、篳篥のかもし出す音色が比叡のお山に響き渡った。金光教の文化である典楽が、改めて公の場で確認された一瞬であった。式典後、他宗の青年の挨拶を受けたが一様に、典楽の素晴らしさを讃えるものであった。それはまた典楽のみならず、金光教の存在自体を深く人々の胸に刻むことになったのではなかろうか。帰りのバスの中に漂う充実感がなによりもそれを物語っていたように思う。

 その日の演奏者の中には、少年の頃、比叡山で行われた林間学校の折、根本中堂の屋根の修理に、銅板を奉納した思い出を持つ方もおられ、まさかこのようなところで楽を奏することになろうとは・・・と往時を偲ばれているのが印象的であった。このような機会を与えてくださった皆様に感謝しながら、一同さわやかな気持ちで帰路についた。