巻頭言
信心を育てる働き

金光教東中国教務センター所長
高 橋 寛 志(岡山県・岡東教会)



典楽会が結成されて今年で50年ということで、2月19日には、典楽会結成50年記念祭が仕えられまして、おめでとうございました。その50年間に典楽会として、各教会に典楽が取り入れられるように働きかけ続けられておりますことは尊いことと思います。

教会側としましても、祭典の時、典楽があることが一つの願いになっています。祭典に典楽があることで、祭典に厳かな感じが増していきます。典楽がない場合、テープででも代用されますが、やはり生演奏が理想です。そして、楽人も演奏することで、神様の御用をさせていただく、という信心を持っての取り組みができます。

典楽会の各教会へ典楽が広がる願いを受けて、楽人の方も、各教会に楽人が生まれることを願い、そのことを神様の御用として取り組まれている方も多くおられます。その働きは、教会を越えてなされています。私の在籍する教会にも、他教会の楽人Aさんが、楽を教えに毎月来てくださっています。その方が来てくださることで、定期的な練習ができるようになりました。こうした場があると、楽人の技術向上ができ、時々は、他の教会の方も練習に加わりに来てくださり、交流ができ、また、新しく楽を始める方も誘いやすくなりました。

典楽には、技術授受の要素もありますから、次代の人たちへの継承、育成の働きも起こります。2年ぐらい前から、当時中学生の子が、典楽に興味を持ち、習い始めました。その時は、その子は典楽をすることで、認めてもらい、褒めてもらい、喜びを感じていたと思います。

もし、典楽との出合いがなければ、彼のエネルギーの持って行き場に困ったことと思います。ちょうどその時、定年退職を迎えた楽人さんがおられて、その方について、彼は一生懸命練習しました。そのおかげで、彼は打ち込むものができたと思います。その楽人さんは、また仕事をされだして、その子に教えることができなくなったので、今は、他教会の楽人Bさんが、その子のために教えに来てくださっています。そして、典楽を通して、その子の信心をも育てようとしてくださっています。典楽は、技術だけうまくなっただけでは十分でないと思います。典楽を通し、練習での姿勢や、休憩での話などを通し、信心も育っていく必要があると思います。そうした働きをしてくださっていることを、ありがたく思います。

神様は、あらゆる機会を使って人を助け、育てようとしてくださいます。その内容となる典楽であっていただいていることをありがたく思わせていただいていると同時に、引き続きそうあり続けていただきたいと願っています