出会い永原晃二郎



        
ある日、父(康男)が、私の妻(瑞枝)に「筝を弾いてみんか?」と話を持ちかけてきました。三味線の師範の腕前を持つ妻の返事は明確でした。「弾きます」ここから家族三人の典楽が始まりました。
元公務員の父は鴨方教会で四十余年典楽(笙)の御用をさせて頂いております。
私が小学生の頃最初の出会いがありました。『龍笛』です。
父が見せてくれましたが、その時はただ漠然と見ただけの記憶です。勉強大嫌い、遊ぶの大好きの私でしたが、高校生ぐらいまでは、かなり鴨方教会へ参拝していました。やがて就職した頃、心の底には「金光様」はあったものの、仕事に託けて疎かになってしまいました。その頃です、祖父が他界、最愛の母も、そして私の名付け親でもある藤澤澤代先生(鴨方教会)も帰幽、その後結婚もありましたが、祖母も他界、その一年後勤務していた会社の倒産、そして現在自営の内装業。いろんな事がありました。
自営を始めた頃『運命の出会い』がありました。菊池先生(六条院教会)です。鴨方教会の大祭で筝の御用をされた先生のもとへ父が「どうも楽が合いません。教えてください」との言葉がきっかけで、父から妻への最初の言葉になりました。
妻が始めれば、おのずと私も。話しは簡単ですが、父は四十年のキャリア、妻は邦楽経験者、問題は私です。中学校以来、楽器を持った事が無いのですから。案の定、音が出ません。菊池先生が「自分が吹くのではない、神が吹かせてくださる」とのアドバイスを下さった後から少しずつ音が出る様になり練習する度に自分が進歩しているのが分かりました。そして、故藤澤先生の十年祭に何とか間に合いました。数年後、菊池先生が「本部の典楽試験を受けなさい」のお言葉、三人顔を見合わせて、「ハァ」の言葉しか出ませんでしたが、何かもう流れのままでした。
平成十三年七月の楽員認定試験に、ありがたい事に三人とも合格、この上ない喜びでした。妻の目に涙、忘れていた感動が呼び起こされた日になりました。そして、今年春、ありがたいことに天地金乃神大祭に、私が第三日、父と妻が第四日に御用をさせていただく事が出来ました。夢の中の様でした。ただその直前に、それまで本部と六条院教会で御用されていた菊池先生御夫妻が教師として、愛媛県の多田教会へと、鴨方の地を離れられました。何か私たちの成長を持っていたかの様に、その後、私たちは鴨方教会をはじめ、今立教会、成羽教会、与井教会と続けて御用が出来ました事は、各教会長先生方々に、本当に深く感謝致しております。今思えば、すべて典楽が『出会い』であった様に思います。
永原家に生まれ、藤澤先生に名前を頂いた事によって、笙、龍笛と出会い、妻との縁を頂き、菊池先生をはじめ、いろんな方々との出会いがあります。大げさに言うと「私は典楽の御用に」と生を受けたのかも知れません。それには「人との出会いを大切に」との教えがあるように思えます。名前をあげれば切りがありませんが、その出会いがなければ今の私はありません。今はその方々に感謝の気持ち、御礼の気持ちで典楽に励んでおります。それが自分自身の進歩にもつながると思っております。
そして、今度は、ご指導できる『出会い』があればと思っております