私の夢 吉備舞で教祖様ものがたり
金光 英子



 さまざまな祭典時に、典楽が奏でられ、吉備舞が奉納されている。その楽や奉納舞で、祭典の格調が高まり、どれほどの彩が添えられているかといつも典楽会のご努力に、御礼を申しあげつつ、拝見拝聴させて頂いている。子供のころから、楽や舞にあこがれてはいるが、舞ったことも関係したこともない。唯一学院生の時、お琴でちょっとふれただけである。そんな、ど素人の私が思いつきで「吉備舞−教祖様ものがたり」ができたらいいのになあ、と思っている。
 昨年の暮、金光教国際センター主催でラウンドテーブルが開催された。講師は、宗教史・文化人類学・比較民俗学の研究者である関一敏九州大学文学部助教授で、テーマは「本教の儀礼を考える」であった。とても興味深く示唆に富んだ講話があり、白熱した議論が展開された。講師から「金光教の儀式は、神道様式をはずすなどさまざまなものを切りすててきたが、一方でもっと伝統的なものをつけ加える姿勢も必要だったのではないか。例えば、金光大神の事蹟を盛り込んだ神楽舞を創作して日本の伝統的なものの持つ力に教えを取り込めば、説得力のある儀式になるのではないか」とのアドバイスもなされた。
 そう言われてみると、金光教ではよく「教祖様にもどろう」のかけ声のもと、さまざまな形あるものが切りすてられてきた。考えてみればキリスト教の十字架、ステンドグラス、賛美歌、仏教の寺院、仏像などは、キリスト様やオシャカ様にもどったら、ないのである。しかし、それらは触れただけでキリストを感じオシャカ様を感じありがたくなってくる。それにひきかえ金光教の精神を表す文化の創造があまりなされて来なかったのではないかと私は思い反省もする。
 金光のある備中の地には、備中神楽があり、芸備教会の大祭前夜境内でくりひろげられるお神楽を楽しんだ幼いころの思い出もある。お神楽で、教祖様が神様と出会われた内容が上演できたらいいだろうとは思う。しかし、すぐにできるとは思えない。
 そこで、現在では金光教の祭典の儀式に欠かせない典楽と奉納されている吉備舞に、教祖様のご事蹟を盛り込んだ創作舞ができないものかと思ってみるのである。
 私の大叔父・吉川英士は日本音楽の部門で、文化功労者としての栄誉を受けている。その音楽の専門家の大叔父が、「金光教の典楽や吉備楽、吉備舞は世界に誉れる文化財である」と言っていた。この文化財を大切にすると同時に、生かし新しい創作が生み出せないかと思う。
 さいわいにも、吉備舞には「桜井駅」や「作楽詣」など伝統ある歴史舞がある。「桜井駅」では、楠正成・正行父子の永遠のわかれの舞が、観る者皆の感動をさそったものである。そして、一方では独立百年記念曲のように、多くの方々のご努力により、節年には創作された吉備舞が大きな喜びの輪となってひろがっている。
 歴史舞のように「教祖様ものがたり」が感動的な作品として創作され、記念曲のように大きな喜びの輪がひろがればいいなあと夢を見てしまう。そして、教祖様のご事蹟やエピソードが、さまざまなイメージを形作りながら、頭の中をかけめぐる。
 教祖様のご誕生、幼少年期の数々のエピソード、農民としての生活、七墓までつかした金神様との出会い、神様と教祖様のあいよかけよの成長ぶり、立教までのプロセス、直信たちとの出会い。考えただけで、ワクワク・ドキドキ、壮大なものがたりになりそうな気がしてくる
 宝塚の「ベルサイユのバラ」に『オスカル編』や『アンドレ編』があるように、「吉備舞−教祖様ものがたり」にも『金神編』『登勢様編』が、あってもいいな等とも思えたりしてくる。いや、一作目はエピソード『松葉運び』や『うんか』『生麦』『わらじ』『牛使い』など、ストーリーのはっきりしたものがいいとも思えたりする。
 金光教の教祖様のものがたりは日本の片田舎の一時代のものだけにとどまらず、世界に通じるものであるはずだ。金光教祖百年祭記念映画の「おかげは和賀心にあり」は、今だに教内外を問わず高く評価されている。この内容も、はっきり言って「教祖様ものがたり」の一つのバージョンなのだ。このビデオは、明治学院大学の宗教社会学の講義に使われている。現在の大学生のゆがんだ宗教観を直し、本当の宗教はこういうものだと認識してもらうのに、最高の教材なのだそうだ。宗教とは何かを教える時代に、わが金光教の教祖様のものがたりが使われていることを誇りに思う。と同時に、このありがたい「教祖様ものがたり」を金光教の文化として創作し表現していけたらと思えてならない。
 祭典に参加した誰もが、神様と教祖様のありがたさを体で感じることのできる時間と空間を共有できる吉備舞は、創作可能なのであろうか。言葉がわからず文化が異なった人とも、身体や心に障害のある人とも同じ感動やありがたさが共有できたとしたら、吉備舞冥利につきるのではないか。
 もし万一、吉備舞で教祖様ものがたりを創作しようという気運が起こったならば、その時は素人ながら、できるかぎりの援助はおしまないつもりだ。