教団独立百年に願う

                   金光教久原教会長 阿部 道生

 今年は奇しくも教団独立百年という千載一遇のお年柄を頂き、改めてその意義を想い、願わせて頂いております。これまで立教百年、教祖百年という意義深い百年の節目を頂いてまいりましたが、これらは原点へのお礼でありました。しかし、教団独立百年は、その原点はもちろん、以後のことを問題にしなければならないところに大きな違いを感じさせられます。
 教典の最後に佐藤範雄師が「内伝」としてお示しくださった中に、教祖様のご信心を、これから後、永遠に伝えることの意義、そして教祖様の願い、独立へのご苦労が切々として述べられています。
 佐藤師が教団独立のことを願い出られたことに対して「此の方は、独立してもせんでも、人が助かることさえできれば結構である」と仰せられたことに対して「金光様おわす間は仰せのとおりで結構でありますが、お隠れの後は何か書いた物がありませんと、世のはやり神と同じように思われます」と重ねて申し上げられました。それに対して「神の教えることを何かと書いておくがよかろう」と仰せられ、後のご神誡、ご神訓となり、教団独立の基となったことはご存じのとおりであります。
 また、教祖様は「道を開くは人である。人を用うるに偏することなし」と、一筋に人の助かりを願われました。そして直信、先覚、先師の血のにじむようなご信心、ご努力によって教団が生まれ、その中で今の私があり教会があることを、改めて御礼申し上げずにはおられません。
 私は先代から「何事も後継者が大切である」と常に教えられ、ことに信奉者の育成のことを問題にさせられました。信心を受け継ぐ人間の育成であります。私は、約五十年にわたり少年少女育成のご用を頂き、子どもがやがて青年になり大人になっていくそのプロセスの中で、どのように信心を受け継ぎ、伝えることができるかを、なによりも大切なことと思わせて頂いております。
 私がご用を頂いている教会の熱心な信者さんが、ある時「改めておたずねしますが信心は何のためにさせて頂くのですか」と申されましたので「それは人に、ことに我が子、孫に信心を伝えるためですよ」と申しました。自己満足の、自分だけが有り難い信心でなく、それを人に伝えることこそ教団独立の原点ではないかと思わせられます。
 「継続は力なり」という言葉があります。教祖様に始まる尊い信心の道が受け継がれ、伝えられ、続けられていくことこそ教団独立の意義であり、それが教勢の発展にもつながっていくと信じています。
 本教の伝統ある典楽も、ご用を通して信心が伝えられ典楽の心が受け継がれていくことを、切に願って止みません。