「天地に真ありて万の事整う」

    金光教姫路西教会・金光教教学研究所長 竹 部   弘  



 ずっと以前、京料理の名人の仕事ぶりを、インタビューも交えて取材したテレビ番組を見ました。名人の父も「伝説の料理人」と呼ばれた人で、「高い材料でおいしい料理をつくるのは、誰にでもできる。安い材料でおいしい料理をつくるのが料理人。料理人は、そのために手間をかけるのだ」が口癖でした。手間とは下ごしらえのことで、茹でる・蒸す・水にさらすなどして、食材の癖を取り除きます。そこにおいしい出汁が染みこんで、いい味になるとのこと。癖がとれて、いい出汁で迎えに行ったら、そのもの本来の味が出るとも言われたそうです。
 この言葉を聞きながら、人間も、個性と癖を取り違えてはいけないと思いました。癖が取れれば、内にある良いものが引き出される。同じ教えによる信心・御用でも、その人柄・信心振りに応じた表れや立ち居振る舞いとなれば、それが個性でしょう。個性は主張するものでなく、引き出されるもののようです。
 三代金光様から拝領の目覚まし時計を大切にされた、ある先生のお話です。昔ながらの鉄製で鈴がついたものです。その時計を白布に包んで鞄に入れて、本部参拝などに持参します。汽車で一緒になった先生方が時刻を尋ねると、背が低いので椅子の上に立ち上がって、棚の鞄に拍手した後、棚から下ろして椅子に座り、白布のまま取り出して押し戴いてから、白布をとって時刻を告げます。同じ所作、逆の手順で時計をしまいますと、しばらくして別の先生から再びのお尋ねです。面白半分の質問ですが、生真面目に同じ動作を繰り返します。他の乗客もクスクス笑うし、何度も続けば「いい加減にしなさい」と怒りたくもなるでしょうが、この先生は何度でも丁寧に同じことをなさる。笑われてもそうせずにおれぬ心でしょうか。そのうちに先生方も改まり、本当に必要な時には、他の人が代わって同じようにしてくれるようになりました。この話を知って、何とも爽快な気分がした後で、容易ならぬことだという思いになりました。笑う者の心が、いつしか、それが本当だなあと変わっていった。天に通じ、人の心に通じるものがあります。
 「変人になれ。変人にならぬと信心はできぬ。変人というは、直いことぞ」という教えがありますが、人として大切なことでも、徹底すれば「変な人」と見られることがある。しかしまた、それこそが本当だと思われ真が伝われば、「変な人」でなく「直い人」という意味での「変人」になります。逆に言えば、「変な人」と見られ続けるならば、どこかに真が足りないのではないかと反省します。物事が整っているところには真があるでしょう。信心・御用の上で大切な、精進の末に成就することが待たれている課題です。

 
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