「典楽のこころ」

    金光教日田教会長・金光教学院長 堀 尾 光 俊  


 ある日の月例祭の後、祭主であった父が「今日は立てなかった」と小声で言うのを耳にした。それまでにも何度か聞いた言葉だった。
 退下奏楽の後、なかなか立ち上がろうとしない父を、典礼役の私は横目でにらみながら、苛立ちを覚えていた。その理由を尋ねると、父曰く「楽がそろっていない。上手、下手ではない。楽人の心がそろっていない」と言われた。その時は「へえ、そんなものかな、そんなに難しく言わなくてもいいのに」と反発の気持ちさえ抱きながらその場を済ませていた。
 それから30数年、私も教会長となり、祭主のお役をさせていただく立場となった。そして「ははあ、『今日は立てなかった』とは、こういうことなのかな」と感じることがある。心がそろうということはとても大切なことに思える。そのことを学ぶ機会が得られた。
 昨年8月に日田教会の広前において、金光教典楽会南九州支部発足20周年御礼祭が開催された。請わしのままに私が祭主としてご奉仕させていただいた。
 子どもの頃から楽というものは耳に慣れ親しんだものだったが、私自身は笛も太鼓も何一つ演奏の経験はない。ましてや典楽会の歴史などは教わったことも学んだこともない。そんな私が御礼祭の祭主として祭詞を書かせていただくことになったので大いに慌てた。そんな時に、金光教典楽会発行の『典楽ものがたり』という一冊の本の存在を知った。内容は、信仰的でかつ客観的な押さえと評価、さらに展望とよくまとめられていて、深い感動を覚えた。
 思うに初代楽長の尾原音人師は、正に神様から差し向けられた偉人で、本教に吉備楽と独自に創作した中正楽を根付かせ、展開させたその功績は大である。
 今日までの本教における典楽の歩みも、決して順風満帆ではなく、先人のご苦労が伺える。絶対的存在の尾原師は、昭和十六年に六十九歳でご帰幽になられた由、そこから種々の問題が各地で噴出してくる。門流・派閥の問題、閉鎖性、財・謝礼の問題、地域性の問題、さらには吉備舞の賛否など、全教が一時騒然となり崩壊寸前になった。そこを乗り越えて本教典楽の今日がある。私自身が学んだばかりのことだが、感動をもって少し引用紹介させていただきたい。
 「典楽会結成から昭和50年代に至る営みは、典楽の信仰的純化であった。」それまで拠り所としていたものは一端剥ぎ取られ、最後に残ったものは、祭典楽・奉納舞・多くの楽曲、祭典における奏楽の定着・各地の楽人そして典楽のこころが残った。その典楽のこころとは、「楽が神様のごちそうであると信じて、身を慎み技を磨いて、神前に音とそれを奏でる自分を捧げ奉ること」、吉備楽などもう古臭くて時代に合わないと音楽性を否定されたことによって、「それでも私達は、この楽をお供えさせていただきます。音楽として良かろうが、悪かろうが、時代の流れに合おうが合うまいが、本教の儀式音楽はこれしかない。という決断がその時生まれた」とある。本教典楽を愛し育み、懸命に繋げてきた先輩諸氏の信心と気概を感ずる。
 全教の楽人諸氏には、お道のためと共に、先人の崇高なる志を受け継いで、さらなる信心成長と楽技の向上に邁進されんことを心より願うものである。