「イライラする時はお礼の足らん時じゃ」

    金光教布教二部長・金光教篠山教会長 近 藤 金 雄 


 私の母が前教主金光様に「時々イライラしますので、心のおかげを受けなくてはなりません」とお届けした時に、金光様から「そうじゃ。心のおかげを受けねばならんな。イライラする時は、お礼の足らん時じゃ」というお言葉を頂いたことがありました。
 本部教庁で御用させていただくようになって三年目の平成六年に、私は顔面神経麻痺を患い、二週間の入院をしたことがありました。
 その当時のことを振り返ると、金光様のお言葉のとおり、お礼の心が足りなくなっていたと思うのです。本部で御用にお使いいただいていることがありがたいというお礼の心を土台にして、受け持つ業務が多くなってくれば、かえって、本部における御用の全体の中で、私が担当している業務はどれほどのことであろうかという程度のわずかなものであるのに、しかも、その業務もいろいろな人のお世話になって、やっとできさせてもらっているのだという思いと、そのように不十分な御用しかできていない私を、神様はさらに御用に使おうとしてくださっている、いよいよありがたい。このような喜び勇む心になっていくことができればよかったのですが、受け持つ業務が増えていくことに、お礼の心がかすみ、ストレスをためていったのでした。
 本部での御用は、本教を統理される教主金光様のご祈念、御取次を頂いて、その金光様のおぼしめしを教団の上に実現していく教務総長による教務総理の内容としての御用です。そして、本部で御用に携わっておられる方々、さらには、全教の各教会の教会長先生や諸先生方、全教の信奉者の、お道の発展を願われる祈りの結集したものとして、職員が受け持つ一つ一つの御用が成就していくのであると思います。
 顔面神経麻痺という病気をとおして、「自分がしなくては」という思いが強くて、「させていただく」という心がうすくなっていたことを反省させられました。いつも、その時のことを思い出し、御用を頂く姿勢を自分に問うております。
 いかなる御用にあっても、その御用に奉仕する者の信心が問われていると思います。「会員の心得」に、「道の教えを本にし、お取次をいただいて、信心と楽の稽古をさせていただく。自己の助かりと道に生かされる喜びをもって、楽の奉仕をさせていただく」とありますが、このことはすべての御用に当てはまることでありましょう。
 お礼の心を土台にして、今、神様が私に与えてくださっている役柄、御用に奉仕させていただきたい、お使いいただける私にならせていただきたいと願っているところであります。