巻頭言

「縁の下の舞を舞う」

金光教布教一部長・金光教横川教会副教会長   山 本 正 三
  金光教学院に入る前、母が笙を買い求めてきた。母は幼い頃から箏や吉備舞にとご用にお使いいただいていたこともあり、楽に対しての思い入れも深く、教会でもご用にあたっていたが、箏以外の楽器がなかったことから、私にその一役にでもと思ってのことであったのだろう。
 学院での笙の稽古に参加するのは少人数であったが、笙にさわったこともない私にとっては、教えてくださる先生の説明にようやくついていける程度であった。そんななかでも、学院の霊祭、大祭時の奏楽のご用にあてられたが、まさに不承不承といった感じで、嫌々のご用といった感じであった。
 そうした自分のありようが、教えられる先生にもよく分かっていたのではないかと思えるが、その時には自分中心でそのことが見えていなかった。ある日の稽古の時、少し風邪気味なので休ませてほしいと言うと、先生は「そんな風邪くらいで楽ができないことはありません」と厳しく叱責された。私は「どうぞ休んでください」と言われると思っていただけに意外な言葉であったが、その時の様子が不思議と今も残っている。それ以後は、どのような時にでも欠かすことなく出なければと思い、それでようやくに形だけはできるようになった。
 あの時の先生の言葉の真意は今となっては聞く術もないが、今として自分なりに思わせてもらえるようになったのは、「これも神様のご用であるぞ。そのことをどう思っているのか」との問いかけを含んでおられたのではないかと思う。体調が少し悪いのだから休んでもいいといういい加減な私のご用姿勢に対して、「神様への奉仕としての楽のご用をあなたはどうとらえているのか」とおっしゃりたかったのではないか、と思わせられるようになった。
 果たして、その後も楽技の方は、練習不足によって一向に上達を見ない。そのため、つい人相手になってしまい、「あの先生がおられる前ではできない」と思ったり、口にも出したりする。そうしたなかに、かつがつご用にお使いいただく機会を得るたびに、今更のようにあの時の言葉が私に問いかけてくる。
 神様のご用としての奏楽は、祭典を陰で支えるものである。表舞台に出るものでないために、興味のない人にはただ鳴っているだけとの感じすらする。まさに縁の下のご用ともいえる。しかし、そうしたなかで磨き抜かれた楽技が聞く人の心に響き、祭事と融合することでより荘厳なものにしていく。
 金光四神様のみ教えに「氏子、縁の下の舞を立派に舞えよ、ゆるゆる見物してやる」とある。目に見える人を相手でなく、神様相手のご用であることを忘れずに、これからも機会があればご用にお使いいただきたいと思う。
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