奏楽(がく)のこころ
「ごちそう」って?

 とある番組に「最後の晩さん」というコーナーがあった。メインキャスターがスタジオから飛び出し、ゲストに文字通り「人生最後の食事に何を選ぶか?」と問う。それに対するゲストの答えより興味をもったのは、なによりむしろ「なぜそれでなければならないのか」「なるほどなァ」と思えるゲストの生き様に深く迫ったその内容・中身だった。
 晩餐=夕食=ごちそう=満足=人生、という図式がピピピッと脳裏を走る。つまりは、充実した『人生』を生きているゲストが、見ている我々に語りかけ、エールを送ってくれていたのだ。
 それとは対照的に、生き通して御霊の神となられた方々も強く熱く語りかけてくださっているのである。なぜ生きているうちに、もっと、と後悔めいて思ってみても、いたしかたないことであろう。御時節を頂けなかったということだ。
 しかしながら、御霊の神に思いを馳せ、神習い偲ぶことで会得し、心を伝えることもできるのである。
 先頃の秋に、吉木真琴(戸籍名・マコト)師が九十五才半ばで亡くなられた。吉木師は、数えの十二才で「神様の御用としての箏なら」と父親に許され、十五才で尾原音人楽長に出会い師事する。以後、石橋松次郎、石橋マスミ、平山コマツ、その他数え切れない多くの方々から学び、育んできた典楽・吉備舞への思いの故に、数年前「金光教典楽会」から身を引かれた。久留米教会の初代が「神様のごちそう」として吉備楽・吉備舞を奨励したその心を受け継ぎ守り通し、最後の最後まで、箏の音に、語り歌う声に、耳を傾けてのご一生に拍手喝采。万万歳。
 手元に平成元年九月発行の紀要『金光教学』第二十九号抜刷がある。荻原(現・三矢田)光著「金光教典楽史に関する断章」と題する二十五ページの研究ノートだ。昭和六十三年の福岡教会金光大神大祭に、歴史舞「吉備の中山」が奉納されると聞き、参拝した。荻原師から幸便とばかりに、吉木師への質問対談を依頼された。いつ頃からか「神様(へ)のごちそう」という言葉に魅せられ、改まってお話しできることを喜んだものだった。
 吉木師は、対談の中で、お稽古してお稽古してお稽古して、尽くしても尽くしても尽くしきれない真心を積みかさねて、おいしいごちそうを神様にお供えさせてもらわなければならない、と楽人の心得を繰り返し繰り返し説かれた。久留米の初代が楽器や吉備舞装束を揃え、尾原楽長をたびたび招聘したのも、神様においしいごちそうをいただいてもらいたい一心からだった、とも。
 我々楽人は、月例祭、霊祭、大祭、その他人生節目のお祭り等の奏楽奉仕をさせていただく。「している」のではなく、「させて頂く」のである。それも「お供え」としてである。であれば、であればこそ「より、よいもの」を願わねばならない。音に真心を込めてお供えさせていただく以上、その真心に見合う音を求める努力をすべきだ。
 最近は「報われない時代」だからなのか、「一心に〜する」「汗水たらして〜」「身銭を切って〜」ということが少なくなってきたようだ。「ごちそう」に対する考え方も確かに変化した。祭典楽・典楽がBGM化して、雰囲気作りの趣も感じられる。
 あたかも本年は二十世紀最後、西暦二千年に当たる。あなたにとって人生最後の食事、最後の晩餐の「ごちそう」ってなに? 私の「ごちそう」は、「ひ・み・つ」
金光あかり