みんなの祭典は、みんなの御用によって

金光教東京センター所長
金光教本中野教会長
浅野善雄

 いよいよ教団独立百年を迎える。1991年度より教団の基本方針の副題に掲げられてきた「教団独立百年を目指し」取り組まれてきた諸施策が結実する。
 教団独立百年記念祭は、ご承知のように多数の参拝者が見込まれるところから6月10日の午後と、11日の午前の2回に分けて執行される。当日の奉献者には、ご神願を担い現す信奉者の信心実践を願って、本教信心の基本的内容を表現した「信奉者必携(仮称)」がお下げになる。また、参拝者には教団独立百年の歴史を内容とした記念冊子が配布される。
 さらに、記念映画「いのちの詩 聞かせて」が製作され、多くの教会連合会が、教団独立百年奉祝行事の中で上映が計画されている。このようなお年柄に出会えた私どもは、改めて「この方は、人が助かりさえすればそれで結構である」と、教えを貫こうとされた教祖様と道を立て抜こうとされた佐藤範雄師との話し合いの中で生まれたあいよかけよの働きを大切にしていきたいものである。
 ところで、前記の映画製作に職務上関わった者として、印象に残ったことを記してみたい。撮影場面は「荒野」、場所は東宝撮影諸プール。主演の女子高校生の一人の父親が胃ガンで入院し、夜中に悪夢を見てうなされるシーンである。役者は父親約一人。スクリーンに出てこないキャストは30人近く。監督はじめ、撮影や照明、録音、大道具や美術、メイキャップや衣装担当等々。胸まである雨靴を履いて角材でプールを波立たせたり、スモークを使って幻想的な雰囲気を醸し出したりしつつ、何度かのリハーサルを経て、本番。準備に二時間ほどを要し、おそらくシーンとしては2、3分とのこと。スクリーンの背後にある膨大な時間と映像を成り立たせる人々への思いを寄せて完成を待ちたいものである。 祭典もまた同様ではないか。一時間前後の祭典は、祭員が主役と受け取られかねない。しかし、当日までの準備に携わった人、当日の御用奉仕者、中には祭典を拝せない御用の人もおられるであろう。どの御用も担う人がいてこそ全体が成り立つのである。当日だけで担える御用もあれば、予め何度か練習を重ねないと当日に臨めない御用もある。典楽やコーラスは後者である。とすれば、祭典までのすべてが、祭典の内容でもある。
 一人ひとりが委ねられた御用を、金光教典楽会・会員の心得にうたってある「自己の助かりと道に生かされる喜びをもって」奉仕させて頂きたいものである。