金光教典楽会結成50年記念曲
典楽とコーラスのための組曲「教祖讃仰」
編成・曲目解説




典楽とコーラスのための組曲『教祖讃仰』
収録風景(2004.12.18)






















各章の解説
    第一章 出会う
    編成 典楽音律(A=430ヘルツ)
    太鼓、鞨鼓、鉦鼓、笙、篳篥、龍笛、箏、コーラス(3部)
    歌詞 「疑いを放れて広き真の大道を開き見よ。
           わが身は神徳の中に生かされてあり」( 理3・神訓・1ー2)
    〈ご事蹟〉安政2年 教祖42歳の大患
幼小の頃から信仰心が篤く、家業とともに神社や仏閣への参詣にも努め、「実意丁寧神信心」を貫く若き日の教祖にとって、家族の相次ぐ死や家畜を失うなどの不幸の連続は、理解に苦しむことであった。日柄方角を見てそのとおりにして、なお降りかかる苦難。その疑問は、自らの神に対する無知、神の前での自らの無力さといった自らの在り方に向けられていく中、教祖自身も42歳のときに大病にかかり、生死の境をさまようこととなる。
高熱に冒され、湯水ものどを通らぬ病床の教祖。親戚の者らが集まり祈祷を行う中で神憑りがあり、かつての普請について無礼があったとの金神のお告げが下がる。それに対する「神様、本来してはならないはずの建築を押して進め、日柄方角を見てもらったとはいうものの、狭い家を大きくしましたので、どこへどうご無礼したか、凡夫で相わかりません。方角を見て済んだとは、私は思いません」という教祖の返答は、この時の偽らざる心境であった。その後すぐに返ってきた「その方はよい。ここへ這いながらでも出てこい。その方は行き届いている。神々がみなここへ来て見守っているぞ。その方の信心に免じて、神が助けてやる」とのお告げに、教祖は何を思っただろうか。
日柄方角を守り、無礼のないように努めつつも降りかかる苦難。無礼を認め、お断りすることにより、ただちに差し伸べられた神の救いの手。これまで参拝し、信心してきた神々に見守られているという、体が震えるほどの感動の中で、実は日柄方角を見るという行為は、神を遠ざけ、わが力のみで生きることに繋がる愚かしい生き方であり、遠ざけられていた神とは、人間に障りをもたらす「金神」ではなく、何もわからぬ人間をも生かし育もうとする限りなき働き、無限の恵みをもたらす神であったことを知る。
ここにはじめて教祖は真の神「天地金乃神」に出会い、日柄方角等の迷妄に揺すぶられ、悩まされてきた人生を、大きく転換していくことになる。

    第二章 生きる
    編成 洋楽音律(A=440ヘルツ)
    篳篥、龍笛、(箏)、ピアノ、オルガン、コーラス(3部)
    歌詞 「天に任せよ、地にすがれよ」(『天地は語る』 227)
    〈ご事蹟〉明治6年 神前撤去
農民の身でありながら、神の教えを説く教祖の布教は容易ではなかった。さまざまな噂の吹聴や度重なる山伏の妨害。さらに明治政府による神道国教化政策の中で、明治4年には白川家からの神主としての布教資格を失い、明治6年には、大谷村戸長の命により神前にあった一切のものが撤去された。
教祖自ら「荒れの亡所」と言わしめた広前には、取次をはじめてから13年余の歴史のみが横たわっていた。すでに老境に入っていた教祖にとって、世の人々を取り次ぎ助けてくれという神の要請をひたすら身に受け、自らの使命として生きてきただけに、国からその生き方を否定されたことは、教祖に大きな落胆の念をもたらしたにちがいない。
そんな教祖に神は「休息」を言い渡す。「力落とさず、休息いたせ」「金光、生まれ変わり、10年ぶりに風呂へ入れ」と仰せられた。元治元年に禁じられて以来の入浴。「戌の年60歳」であった教祖はその後「酉の年1歳」と覚書に記している。老い先短い60歳の老人ではなく、多くの未来と可能性を抱える新生児として教祖は生まれ変わったのである。
そこには、自らの落胆や動揺を越えて、静かな心で神に向かい、神の導きのままに生きる教祖の姿があった。時の国家権力に従うのではなく、自らの感情に任せるのでもなく、天と地の間でその声を聴きその意思を受けて生きる生き方である。
生まれ変わった教祖は、約1か月間の「休息」の後、再び大谷村戸長の命により、黙認という形で布教が再開できるようになる。そして、神から金光教の信心の要諦を示す「天地書附」が下げられることとなる。

    第三章 託す
    編成 典楽音律(A=430ヘルツ)
        太鼓、鞨鼓、鉦鼓、笙、篳篥、龍笛、箏、コーラス(3部)
    歌詞 「心は広く持っておれ。世界は広く考えておれ。
             世界はわが心にある」 (『天地は語る』 111)
    〈ご事蹟〉明治15年10月14日のご神伝
明治15年、神から「天地の間のおかげを知った者なし。おいおい三千世界、日天四の照らす下、万国まで残りなく金光大神でき、おかげ知らせいたしてやる」とのお知らせを受ける。老いゆく身の上から、少しずつ体の変調も出始めてきたこの時期、教祖はこのお知らせをどう受け止めたであろうか。
教祖にとって、世界を救済するという願いを持ちながら、それを実現していくのは、自らの広前に参ってくる一人一人の参拝者への取次であった。相まみえ、その人の声を聞き、神の願いを伝える中で、参拝者それぞれの心に神が生まれ、神の願う世界がその人にあらわれていったのである。
教祖の取次を受けた参拝者たちは、自らの心に生まれた神と世界を、教祖同様の取次により次の世代へと伝え、彼らもまた同様にして、教祖の開かれた道はこんにちまで広がり伝えられてきた。
思えば、この神伝が指し示す世界は、晩年の教祖一人の中に留まるものではない。教祖の意思を受け継ぎ、心に神が生まれ、神の願う世界があらわれた人々の連鎖の上に世界が変わっていくという、壮大な神の計画であり、神の悲願なのではないだろうか。
その意味で、私たちは託されていると言えよう。我が心の中にある神の願う世界を広く伝えあらわしていくことを。そして、その働きにあふれた世界を次の世代へ託していくことを。