Relation-Ship 道の仲間たち(典楽会インタビュー)

「神様の旋律に乗って」


2022/4/26


教内各機関や各種団体と協力しながら作っていくコーナーです。
今回は典楽会の会長職務代行者である永原晃二郎氏(岡山・鴨方)に典楽をとおして感じた神様や典楽の魅力などについて語っていただきました。

 典楽会の願い 
 典楽は、本教の独立以前から営まれていました。別派独立後、組織としての体裁が整えられていきましたが、実質は本教の草創期から歩みを共にしてきた、と言うことができます。惣明期から昭和29年(1954年)までは、教団の内部組織でしたが、同年2月に典楽会(本部各種団体)として発足しました。
 もともとは芸備教会(広島)初代教会長の佐藤範雄先生が「何とこの道にも楽があればよいがのう。楽は楽でも吉備楽の楽ぞ」と言われたことに対して、豊原教会(岡山)初代教会長の小林岩松先生が「やり手がなければ私がやらせていただきます」と受けられたことから、祭典での奏楽が始まったと伝えられています。
 典楽の長い歴史の中で、われわれまで伝えられてきている一番大切なことは、奏楽と奉納舞は、「祭典のお供え」だということです。御米、お鏡餅、お神酒などと同じように欠かせないものであるということです。だからこそ、新型コロナウイルスによって、奉仕しづらくなっている今の状況が、残念ではありますが、いま一度、この願いを見つめ直す機会ともなっており、会員は、「祭典でお供えをさせていただきたい」という願いをさらに強くしています。
 典楽会の願いの大事なところは「会員の心得」に集約されています。
 会員の心得
 一、道の教えを本にし、お取次をいただいて、信心と楽の稽古をさせていただく。
 一、自己の助かりと道に生かされる喜びをもって、楽の奉仕をさせていただく。
 一、常に私心を離れ会員としての自覚を深め、互いに頼みあい、願いあい、所願の成就に精進させていただく。
 一、良き伝統を継承しつつこれを後進に伝え、楽の興隆につとめさせていただくこと。
 練習会、研修会では必ずこれを皆で唱和させていただきます。この中の「私心を離れ」というのは、「神様にさせていただいている」自覚ということです。例えば、祭典で、「自分がやる」という心が出ると、必ず失敗します。私自身、経験の中で、「神様にさせていただく」心がないとできないと思わされてきました。「自分がやっている」という心を取り払わなければ、良いお供えはできません。どうしても人間ですから、そういう心が出ますが、そこをいかにして神様に向かうかということが基本中の基本です。何年経っても、それができているかというと難しいですが・・・。教祖様の「生きておる間は修行中じゃ」というみ教えが好きなのですが、まさにその通りで、たどり着くことはないです。私は、龍笛(りゅうてき)という楽器を専修にさせていただいていますが、祭典の中で、一番最初に音を鳴らす楽器です。ですから、ものすごい緊張の中で吹き始めるわけです。しっかり吹かないといけないと思っているところは、不思議と神様が助けてくださいます。しかし、ここは大丈夫だろうと思っているところは、失敗します。「自分がやっているんじゃないと分かりなさい」という神様のメッセージだと思っています。


 稽古の魅力
 ある先輩から「何十年やっても今日は良かったという日はない。おそらく死ぬまでないだろう。繰り返し勉強しながら、稽古しながら成長していきましょう」と教えていただきました。確かに「今日は良かった」ということは皆無です。どこまでも極まることはないから続けられるのだと思います。これは一つの魅力だと思います。だからこそ、どこまでも求め続けていくことができるということです。今日これができたから、明日同じことができるわけではなく、進んでは下がって、進んでは下がっての繰り返しです。
 技術的には上手な方もいて、そうでもない方もいます。そうでもない方がいるからこそ上手な方が引き立つし、上手な方がいるからそうでもない方はもっと頑張ろうと思います。これがいいと思います。また、技術的に上手な方の音は確かにきれいですが、それが神様に必ず届くかというとそうではなく、技術が劣る方であっても、一生懸命、真心で演奏していると心に響いてきます。心からのお供えは神様に伝わるし、皆さまにも伝わるのではないでしょうか。
 現在、典楽会の会員は1000人ほどいて、試験を受けて本部楽員になった会員が400人ほど、その中で、実際に本部の奏楽に当たっている会員が200人ほどです。その約200人が年2回ご本部で開催される練習会、研修会に参加していますが、みんな自費での参加です。神様にお供えをさせていただきたいという、その気持ち、熱意というのはすごいと、いつも感心します。大雪だった年でも、9割の方が稽古に来られたことがありました。私はご本部の近所にいますので、本当に頭が下がる思いです。
 稽古の中では、技術的なことだけではなく、いろいろなことを指導されます。笛を吹くだけが御用じゃない、箏を弾くだけが御用じゃない、と、御用をさせていただく心構えや御用の内容を伝えられてきたからこそ伝統ができたのだと思います。
 私は典楽会に入って20年になります。仕事でも、いろいろな人と関わりを持ち、視野も広げてきたつもりでした。しかし、典楽会に入り、会員の皆さまの行動や心の配り方を見ていると、世間とは違う価値観があるということが分かり、まさに目からうろこでした。端的に言うと、本当に純粋だと思いました。それは、神様へお供えをさせていただきたいという思いを、親先生、先輩方から教わる中で育まれていくように思います。
 会員の中でも、典楽の魅力の捉え方は、それぞれ違うと思いますし、いろいろな捉え方があるからこそ、みんな続けられるのだと思います。ですが、御用をさせていただきたいという思いは皆一緒です。それぞれの思いがあって、ここまで伝統が続いてきているということです。

 運命の出会い
 実は、若い頃の私は仕事人間で、まったくお参りをしていませんでした。鴨方教会には典楽の楽器が全部揃っていたのですが、楽の御用をする人は、父だけになっていました。父は笙(しょう)を40数年していました。
 父から聞いた話では、鴨方教会の大祭に、六条院教会(岡山)の先生が参列された時に、一緒に菊池カツミ先生(愛媛・多田)がお参りされていたそうです。これが「運命の出会い」でした。父が一人で楽(がく)をしている様子を見て、菊池先生は「今度は箏を持ってきて一緒に御用しますよ」と言ってくださったそうです。そこから何度か一緒に御用をさせていただくうちに、父が「どうしても先生の箏と私の笙が合わないからもっと一緒に稽古をさせてください」とお願いしたそうです。すると菊池先生が、「あなたのところには箏を弾く人はいないの?」と尋ね返されたそうです。それで、父はうちに帰ってくるなり私の妻に、「あなた箏を弾いてみんか?」と言います。妻は音楽が好きなので、「あ、やります、やります」と即答しました。そんなに簡単に返事をして、本当に大丈夫なのかなと思いましたが、妻がするのであれば、私もさせてもらわなければいけないなという状況になりました。楽器は自宅にあり、笙は父がしていたため、龍笛をさせていただくことになりました。
 後日、菊池先生にお会いした時にそのことを報告したら、「龍笛はなかなか音が出ないからね。音が出たら教えてあげる」と言われました。確かに音が出せるようになるまで1カ月ぐらいかかりました。後から分かったことですが、自宅にあった笛はとても音が出にくい笛だったのです。知らないからそういうものだと思っていましたが、菊池先生から「自分が吹くのではない、神様が吹かせてくださる」とアドバイスを頂いた後から、不思議と少しずつ音が出るようになりました。簡単にできない、難しいものだったからこそ、負けず嫌いの私は続けることができたようにも思います。


 父の涙
 やっと菊池先生に教えていただけるようになり、基本中の基本を教えていただき、ついに教会の秋の大祭で、父と妻と3人で初めて御用をさせていただけるまでになりました。そのお祭りは私の名付け親である藤澤澤代先生(岡山・鴨方)の10年祭が併せて仕えられるお祭りでした。神様がそこに間に合わせてくださったように思います。
 私は父が泣いている姿を初めて見ました。祭詞の時にすすり泣いていた父の背中は今でも目に焼き付いています。そんな父の姿を目の当たりにして、それだけ願ってくれていたんだなあと気付かされ、いい加減にはできない、続けていかなければと思いました。
 それとともによみがえってきたのが、祖母の口癖でした。祖母はいつも「お父さんのように楽の御用をさせてもらえ」、「神様は楽を一番喜ばれるんじゃから、あんたも早く稽古させてもらえ」と言っていました。両親、両祖父母の願いがあって、神様がそろそろしなさいと道を作ってくださったんだと分からされ、覚悟が決まりました。そういう願いを、今度はわれわれが後進に伝えていかなければいけないと思います。

 本部楽員に
 それから1年たって、菊池先生に「3人とも本部の試験を受けなさい」と言われました。言われたままに試験を受けましたが、うまく吹くことができなかったため、「落ちたな、まあいいか」と思っていました。しかし神計らいを頂き、3人とも無事合格でき、晴れて本部楽員にならせていただきました。
 この時初めて、典楽会という会があって、その会員がご本部のご祭典の奏楽をされているということを知りました。会に入った当初は、レベルが高すぎて、とてもついていけないと思いました。菊池先生に教えていただいたのは初歩の初歩だったので、しっかり稽古しなければと思いました。
 それと同時に、人が演奏しているのを見て、聴いて、稽古したいという思いが強くなり、妻に相談したところ、意見が一致して、まずは月例祭、大祭の奏楽を見に、聴きにいくということを始めました。
 人の技を見て盗むというのは、典楽会の伝統の中に昔からあったそうです。後から考えると、それによって、自然とご本部のご祭典に必ず参拝させていただくということになっていました。
 
 仕事の上でも
 私はもともと内装の卸問屋で働いていました。会社が倒産したことで、自営で内装業を始めました。卸問屋なので物の流れは知っていましたが、自分でクロスを貼るというような作業はしたことがありませんでした。始めた当初はもちろん、仕事はありませんでした。教会で、「なかなか仕事も増えないし、大変です。どうしたらいいですかね」とお取次を願いました。すると先生は、「まあ辛抱して続けなさい。これも修行じゃから。このお道に入った以上は、『神様にさせていただく』気持ちでさせていただかないといけないよ」と言われました。それを聞いて、「なるほど、楽と同じだ」と思いました。
 その後、親友が内装業をやっていて、「一緒にやろう」と言ってくれ、教えてくれました。その親友は長い間内装業をしているから簡単にできます。しかし、私はうまくいかない。苦手な分野でしたが、苦労しながらでも、お願いしながらさせていただいていたら、できるようになっていたように思います。典楽の稽古のおかげで、日常生活での信心の稽古が理解しやすくなっていたことを思わされます。
 その親友は2年前に亡くなりましたが、彼が依頼されていた仕事は、私が受け継がせていただきました。彼も霊様として私を助けてくれていると感じています。

 神様の旋律に乗っての人生
 今、あらためて振り返ってみると、想像もしていなかった人生になっており、不思議でしょうがありません。昔は、普通に仕事ができて、普通に生活ができれば十分だと思っていました。
 典楽に出会って20年がたち、今では典楽会の執行部に入らせていただいています。典楽にしても、執行部にしても、させてくださいと言ってできたものではありません。気付いたら、こういう状況になっていました。起こってくること全て「できるわけがない」と思いましたが、「まあやってみるか」と受けさせていただき、一生懸命、先輩の真似をしながら、できているかは分かりませんがここまできています。
 後から振り返ってみると、神様がいろいろなことを差し向けてくださり、知らず知らずのうちに、一段一段、ここまで導いてくださっていたと思わされます。そして、まだまだここから成長しなければならないと感じています。
 私はもともと、すごく気が短い人間です。しかし、典楽の御用のおかげで、いろいろな見方ができるようになりました。日々成長です。私の場合は、神様と周りの人に助けていただいて、今があると思います。このお道にいる以上、抗(あらが)うのはやめて、神様のなすがまま、神様におまかせするという姿勢でいたいと思っています。

 典楽会のこれから
 今は奏楽を収録したCDがあるので、それを流して祭典を仕えられている教会もあると思いますが、奏楽の御用に来てくださいという教会長からの願いがあれば派遣したり、私たちが行くなどしたいという気持ちでいます。場所や時間などの問題はもちろんありますが、なんとかご要望にはお応えしたいと思います。
 やはり、全てのお祭りで奏楽、奉納舞のお供えがあるというのが、一番の願いです。笙だけでもいい、龍笛だけでもいい、全部揃わなくても、奏楽がある中でお祭りが仕えられるというのが一番ありがたいことだと思います。そのためにも、典楽の魅力を多くの方に伝え、より多くの方に典楽を始めていただき、典楽会に入っていただけるよう努めてまいります。それと同時に、今の時代の人たちがより親しみやすく、楽しめる典楽会を目指していきたいです。