金光教(こんこうきょう)




トク、トクと打ち続ける心臓の鼓動。
「止まれ」と言っても、止まるはずはなく、ただ、黙々と私たちのいのちを保ち続けてくれています。

透明な水と空気、光、黒い土から、白い大根や赤いにんじん、青々しいほうれん草が育ちます。
それをごく当たり前のこととして食べ、私たちは生きています。そして食物は私たちの中で、私たちの意思に関係なく、やがて赤い血や肉や骨になっていきます。

山から流れ出る水は、川となり、やがて海に集まり、ほどよい日の光を受けて蒸発し、それが雲となり雨となってまた山に降り注ぐ。

こうしたメカニズムひとつとっても、私たちには絶対に必要でありながら、作り上げることはできませんし、その、どの一つを失ったり、狂わせたりしても、私たちは生きていくことができません。

このような働きが、私たちの内にも外にもあふれています。そして、それぞれがごく当たり前のように動き続けています。まるで、私たちを生かそう、育てようとしているかのような不思議な、大きな働き。の上に、私たちの暮らしは成り立っているのです。

こうした私たちのいのちを根底から支え、すべてのものを生かし育もうとする大いなる意思と働きを、私たちは「天地金乃神」様と称え仰いでいます。私たちの助かりをどこまでも願い、私たち一人ひとりを神のいとし子として、愛してくださっている神さまです。私たちの周りには、人間をはじめすべてのものを、生かそう、育てようという天地金乃神様の願いと働きに満ちあふれているのです。

金光教は、このような神と人、人と人、人と社会がともに助かり、たちゆく世界の実現をめざす宗教です。
人間は、人間の力だけで生きているのではなく、神さまの恵みの中に生かされて生きています。神さまもまた、神さまだけでその働きがあらわすのではなく、人間を通して生きた働きをあらわされます。
金光教祖は、この関係を「人間あっての神、神あっての人間」と教えられ、自ら、人の願いを神に祈り、神の願いを人に伝える「取次(とりつぎ)」を始められました。その営みは、教祖の弟子たちによって全国に広められていくこととなり、本部広前においては教祖の子孫が継承し、本教の中心として現在は金光平輝(5代)様が取次に従っています。

金光教の教紋で、「八波(やつなみ)」と呼んでいます。
金光教をあらわすシンボルとしていろいろなところに使われています。

金光教についてさらに詳しく知りたい方は金光教公式ホームページをご訪問ください。
http://www.konkokyo.or.jp/