静心(しづごころ)
2022/4/26

 長く寒い冬の盛りを越えると、ほんのわずかなのだが身を刺すような外気の鋭利さや、痛いほどの水の冷たさもこころなしか柔らかく感じられてくる。また、木立のざわめきや鳥のさえずりにさえも、何かしら春めいてきているような気がする。そして、一番気になるのは桜のつぼみが徐々にふくらんでいく様子だろう。つい、桜の枝先に目がいってしまう。これが「春を待つ心」なのかと思わずニヤつくのだが、日々わずかだが確実に春は近づいてきた。
 そして3月下旬、一斉に桜が咲き始め賑やかな春が始まった。今年は、開花後に気温がかなり下がったので、桜の時期は例年より長かったそうだが、それでも1週間ほどで桜の花は散っていった。
 思えば、実に忙しない花である。つぼみを付け始める頃から注目され、一日一日人々の期待を自らの膨らみに変え、日々成長していく。メディアもまた、桜前線だの開花予報だの、いつ咲くかいつ咲くかと周囲の期待をあおる。開花するや、開花宣言とともに全国至る所でお祭りモード突入である。しかし、盛りの時期は短く、過ぎると二日三日でさっぱりと散ってしまう。

 久方の光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ   紀友則(850〜904)

 この『古今集』に載せられた有名な和歌は、春というのどかで伸びやかな季節と、その中で忙しなく散っていく桜の花のさまを対比させているように感じられる。「しづ心」とは「落ち着いた心」という意味であろうか。
 数ある花の中で、開花時の鮮烈さは比類がないだろう。日本全国の人々の「春を待つこころ」がこの一瞬に注がれていると言っても過言ではない。そして、開花時の鮮烈さとともに散り際の潔さも比類がない。こうした特性は、古くから日本の文化的な土壌に影響を加えつつ、やがて「大和魂」であるとか「武士道」であるとかの精神の基底に取り込まれていったのだろう。
 桜の和歌をもう一首

敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花  本居宣長(1730〜1801)

 本居宣長は江戸時代中期の国学者、歌人で、この歌からも日本の思想的背景に桜が密接に結びついていることが理解できよう。ただ、ここでの桜に、紀友則のイメージする華やかさは薄れ、「山桜花」という今で言うと少しシブめのイメージに置き換わっている。
 もっとも、現在の桜の代名詞とも言えるソメイヨシノが栽培され始めるのは江戸中期から後期にかけてののことだから、今の感覚とはかなり違うのだろうか。ただ、古来も桜を華やかさ、清新さの象徴として考えられていたことは間違いないだろう。

 物事は時々刻々変化する。「時間とは、物事の変化の量である」と、何かの本で読んだことがあるが、変化しない物事に時間は経過しないのであり、進化や衰退もあり得ず、ただ化石のように眠るか与えられた道程を反復するしかない。
さて、先ほど「静心」を「落ち着いた心」と解釈したが、そもそも「落ち着いた心」とはどのような心を言うのだろう。時々刻々変化する物事。それらと共に心も時々刻々変化し、時に喜び時に悲しむ。人間に普通に備わる喜怒哀楽もまた人の心なのだから、ある意味落ち着きようがないし、「落ち着く」ことが一つの感情表現の過程であるとも言える。「静心」のそれは、人間の喜怒哀楽とは立ち所を異にしたところにあるようだ。

 たとえ花の盛りの時にあっても、葉を落としじっと堪え忍ぶ冬の時であっても、自らの枝葉に常時水や養分を行き渡らせながら弛まぬ揺るぎない根、幹、枝などの働きの上に、桜という存在は成り立つのであり、その一面として満開の桜があり、幹枝だけになった寒々しい桜がある。それは、みなそれぞれに備わった生命の鼓動の一場なのだろう。
 花の盛りにあるいは落葉の秋に、その底流にある一様に働き続ける弛まぬ揺るぎない生命の鼓動を感じ、耳を傾け思う。それが「静心」なのかも知れない。

 満開の桜が散った翌日から、来年の開花はいつだの早いだの遅いだの、一年先のことを考えてしまう自分がいる。
 人間の感情など、生命の働きからすれば、何と浮ついていることか。「春を待つ心」など、いつの間にか消え去ってしまっていた。
改めて思う。典楽という音楽は、人々の喜怒哀楽の感情に寄り添うものではなく、それらと次元を異にする「静心」を体現する音楽なのだ、と。