ラーメンと夫婦の足し算


ラーメン好きの私にとって、外で食事をする際には別段約束がなければ、すぐにラーメン屋へと足が向く。
旨いラーメン屋を見分けるコツは、まず人の出入りが多い店を選ぶということだろうか。これで7割5分は当たる。しかし、あとの2割5分は食べた後、ブツブツ言いながら店を出て行くことになる。

ラーメンとは不思議な食べものだ。麺、スープ、チャーシュー、メンマ、ETC、そのどれかが旨いからといって、必ずしも「旨いラーメン」にはならない。そのどれもがイマイチではあっても「旨いラーメン」は確かにある。ラーメンの旨さとは、ラーメンを構成する要素のうまさの足し算ではないのだ。

ラーメンにとって、その主役はやはり麺とスープだろう。旨い麺に当たるとこの上もなくうれしい。旨いスープは全て飲み干してしまう。しかしどうだろう。旨い麺と旨いスープであれば「旨いラーメン」になるのかと言えば先に言ったようにそうでもない。時にはそれぞれの旨さを削ぎ合っていると思えるラーメンに当たることもある。それぞれ単品ならば旨いのだが・・・・・。ラーメンとはトータルバランスの食べものなのである。

先人高橋正雄師の話の中に「夫婦の足し算」という逸話がある。
普通1+1は2なのだが、夫婦の場合は、夫は妻の支えを受けて2の働きをし、妻も夫の支えを受けて2の働きをする。かくして1人の男と1人の女が一組の夫婦になると、1+1は4の働きをするという教えである。

思えばラーメンにおいても、「旨いラーメン」は、麺がスープの旨味を倍加しているように感じる。スープも麺の主張を助けているように思える。ラーメン全体が、他の素材の主張をじゃますることなく、また他の素材の後ろに埋もれるのでもなく、しっかりと居場所を見つけて、おいしく食べてほしいと言っているような。おお、まさに夫婦の足し算ではないか。

人と人との関係も同じなのだろう。
あなたの良さを、より輝かすことのできる私でありたい。私の良さを、支えてくれるあなたであってほしい。
そのような思いの上に築かれた関係は、もはや足し算ではくくれない。
もしかすると、効率という世の軛から解放してくれるかもしれない。
そもそも人間は足し算では計れない生き物なのだから。

てなことを考えながら、はずれてしまったラーメン屋を後にしたのであった。
7割5分の確率も、そろそろ考え直さなければならない・・・・・。
(2005.10.17)