音 学


道の向こうから学生が歩いてくる。「おはよう。」と声をかけようとするが、相手は私に対して無関心のようだ。よく見ると、耳にはイヤホンがしっかりとはさまっている。「ははーん。」ウォークマンである。
 学生さんは、私だけでなく自分以外の全てに無関心のようで、イアホンから流れているであろう音楽に熱中しているようだ。あんな調子では、電柱にぶつかったり、溝に落ちたりしなければいいが、と少々心配になってしまった。
 巷に溢れる音、音。演歌からクラッシックまで多種多用の音楽が、どこからか流れている今日である。電車に乗っても、さきほどのウォークマンでもって、当人以外は一様に耳障りな「シャカシャカ音」がどこかで聞こえている。
 音楽が非常に身近になった。まさに、音楽という言葉が示す通り「音を楽しむ」機会がほんとうに増えたと思う。
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 聞く側も演奏する側も、音楽は楽しむものであるが、演奏する側は、その前に音楽を学ばねばならない。学び、稽古し、修得して始めて楽しむことが可能になるのであろう。
 また、聞く側においても、学ぶことで楽しみがより広くより深くなることは言うまでもない。
 「学ぶ」の語源は、「真似ぶ」からきていると聞く。すなわち、まねをすることが「学ぶ」の意味に込められていると言える。
 典楽のみならず総ての芸能は、人から人へと受け継がれてきた。師は伝える人であり、弟子は受け継ぐ人であった。「真似ぶ」ことにより弟子は師から、典楽の技能、心構え、また言葉にならぬものすらも肌で感じ取り、学んでいったのであろう。
 「真似ぶ」に足る良き師を見つけることが典楽の入口であり、そこから「音学」が始まる。「音楽」の世界に踏み入れることができるかどうかは、そこからの精進しだいである。