自動ドア


街に二つのデパートがある。一つは最近新築されたもので、もう一方は、私が子供の頃からそのままの古めかしいデパートである。
古いデパートの入口にあるドアは、手押し式である。これが非常に重たい。小さな子供ではたぶん押すことができないであろうドアを両手で押し、入った後は、後続の人を気遣いながら、閉まるのを見届ける。

その点、新しいデパートは快適である。ドアの前に立ちさえすれば勝手に開き、通り過ぎればこれまた勝手に閉まる。「世の中ほんとに便利になったなあ。」といつも思う。
それと同時に、古いデパートのドアの回りでは当り前の行為であった、「お先にどうぞ」的な、後続の人、あるいは子供、お年寄りに対する心遣い、言わば「人を思いやる」心は、どこにいくのだろうと思いもする。



人間は、種がこの地球に誕生した日から、描いた夢を実現すべく努力を続けてきた。今日それは、大いなる文明として生活のいたるところで恩恵に与っている。「利便性」、「快適性」は、人類の進歩を衝き動かしてきた大きな動機であり、今後も変わることはないだろう。しかし、その影で失っていくものも、目を凝らして見つめねばならない。

典楽の世界でも、文明の利器が段々に入りつつあるが、それにより「失うもの」に込められている先人の苦労とその心だけは、ずっと保っていきたいと願っている。