響き合い



謙遜また遠慮は美徳ではあるが、出すところを間違えると、せっかくのチャンスを棒に振ってしまうことになりかねない。
特にこの道の楽のみならず音楽の世界は、遠慮は全くの損である。私は上手じゃないからとできるだけ小さな音で他の人の邪魔にならないようにやろうなどといっていると、合奏の愉しみが得られないでけでなく、上手にならないだろう。
上手くないからこそ、思いっきり奏す中で、他の人との音の違いを自らの耳で感じ、音の高低あるいは音色を、自分で調整していく営みが始まるのだと思う。

音がそれぞれの個性を主張しあう。その中でそれぞれが磨き合いながら、いらぬものは削がれ、いいものは増幅され、一つの音が出来上がっていく。
まさに、たくさんの音が響き合って一つになるのだ。
遠慮からは響き合いは生まれない。たくさんの下手である同志よ、できるだけ大きな音でやろうではないか。

「容赦をすな。鐘は打ち割る心でつけ。太鼓はたたき破る気でたたけ。割れも破れもせぬ。その人の打ちよう、たたきようしだい。天地に鳴り渡りてみせよう。
(教典金光大神御理解集第一類 島村八太郎の伝え)」