吉備楽中国大会にて中正楽の披露
(大正5年)於:後楽園 |
中正楽は、金光教に吉備楽が儀式音楽として根付いたころ、初代楽長である尾原音人によって創始されたものです。
尾原は、以前にも吉備楽家元の薦めもあって明治28(1895)年に上京し、宮内庁楽部で東儀俊儀(とうぎ・としまさ)、林広海(はやし・ひろみ)、山井基萬(やまのい・もとかず)らについて雅楽を学んでいました。
今回も旧師の門をたたき、相談を重ねながら、1年3か月をかけて新曲を完成させました。その調べは、雅楽を基本にしており、金光教の祭典の中で使用できるように工夫を重ねたものでした。
この新曲はその後「中正楽」と名づけられ、大正4年(1915)4月の本部大祭にはじめて演奏されました。本部の大祭では、この大正4年から現在まで、中正楽が使用されています。
中正楽第23までと音取(祭主が玉串をお供えする際の音楽)等を作曲した尾原楽長は、昭和16年8月1日69歳で帰幽しました。
そのあと尾原楽長の甥にあたる岡田音吉(1905〜1947)が2代楽長となり、中正楽第24から第30までと、中正楽の特色を失わず、かつ新しい変わった面を展開した中正楽新十曲及び音取新十曲等を作曲しました。
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