中 正 楽(ちゅうせいがく)
(updated 05.09.11)




中正楽は、雅楽の響きに似た金光教独自の祭典楽であり、吉備楽と同じく三管(笙・龍笛・篳篥)、三鼓(太鼓・鞨鼓・鉦鼓)、箏で演奏することを基本とし、時として和琴、神楽笛等が加わることがあります。
また、すべての曲が金光教の式次第に添って作られていることが特徴です。

中正楽の性格について、創作者である初代楽長尾原音人は「雅を取り俗を去り古今を折衷して、音譜新に成り、専ら金光教礼典に用ふる楽となす」と記しています。「中正」という語は、中国の思想家、揚雄(ようゆう)の著作中「或問交五声十二律也或雅或鄭何也 曰中正則雅多哇則鄭」という文言から取られました。「同じ五声十二律を用いて作っても、ある曲は美しく、ある曲は淫らになってしまうのはどういうわけだろうか。音の組み合わせが適正であるならば美しくなるし、華美に走れば淫らになってしまうのだ」というような意味でしょうか。「哇(あい)」とは節をつけて飾ることですが、揚雄は、音楽的な技術や効果を追求しすぎると官能に堕す、と言っているのでしょう。

このように、中正楽は金光教祭典のために創作された、静謐で森厳な響きをたたえた音楽であり、その意味で雅楽とは一線を画していると言えるでしょう。

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    1 中正楽の歴史


        吉備楽中国大会にて中正楽の披露
        (大正5年)於:後楽園
        中正楽は、金光教に吉備楽が儀式音楽として根付いたころ、初代楽長である尾原音人によって創始されたものです。
        尾原は、以前にも吉備楽家元の薦めもあって明治28(1895)年に上京し、宮内庁楽部で東儀俊儀(とうぎ・としまさ)、林広海(はやし・ひろみ)、山井基萬(やまのい・もとかず)らについて雅楽を学んでいました。

        今回も旧師の門をたたき、相談を重ねながら、1年3か月をかけて新曲を完成させました。その調べは、雅楽を基本にしており、金光教の祭典の中で使用できるように工夫を重ねたものでした。
        この新曲はその後「中正楽」と名づけられ、大正4年(1915)4月の本部大祭にはじめて演奏されました。本部の大祭では、この大正4年から現在まで、中正楽が使用されています。

        中正楽第23までと音取(祭主が玉串をお供えする際の音楽)等を作曲した尾原楽長は、昭和16年8月1日69歳で帰幽しました。
        そのあと尾原楽長の甥にあたる岡田音吉(1905〜1947)が2代楽長となり、中正楽第24から第30までと、中正楽の特色を失わず、かつ新しい変わった面を展開した中正楽新十曲及び音取新十曲等を作曲しました。

        大阪放送局(現NHK大阪放送局)での収録
        (大正14年頃)

        教祖50年祭祭典後の合同演奏会(昭和8年)





    2 中正楽の分類


      教祖50年祭時の楽座(昭和8年)
      中正楽は、祭典の行事に即して作られています。
      大正10年9月から8回にわたって『金光教徒』に連載された「吉備舞楽の話」の中で、中正楽は「無声」と「歌物」とに分けられ、無声は3管3鼓、箏、琵琶等の楽器を用い、歌物は和琴、篳篥、神楽笛、笏拍子等を用いるとあります。
      現在、中正楽の歌物については、開扉(天の戸)など数曲が無声で伝承されているのみですが、創作された当時の説明では「祭典中、開扉、献饌、献玉串、撤饌、閉扉の際に和琴、篳篥、神楽笛、笏等で歌に合わせて奏せられる」と記されているところから、当初はその名のとおり歌を中心においた曲目であったことがわかります。そして、その歌詞として「金典(こんてん・吉備楽祭典楽)」に収載されている開扉、献饌、献玉串、撤饌、閉扉の曲目の歌詞が紹介されており、開扉(天の戸)と献玉串(いさぎよき)のほかにも、金典と同様の歌詞で作られた中正楽の歌物があったようです。

      こんにちにおいて中正楽は、大きく「中正楽第○○」というように、「中正楽」を冠して作曲順に番号が付けられている曲目を中心としたグループと、音取(玉串曲)や菅掻といった無声の小曲群の二つに分類することができます。

      まず、「中正楽」を冠している曲目群ですが、この曲目は、典楽に使用する楽器すべてが使われます。太鼓、鞨鼓、鉦鼓、笙、篳篥、龍笛、箏。典楽におけるフルオーケストラともいうべき編成で演奏するものです。ただし、その中のひとつが欠けると、曲が演奏出来ないというものではなく、例えば、箏1面、笛1本で演奏されることもあります。これらの曲は、主には祭典の祭員参向や退下に使用する曲として作られており、また比較的行事の時間が長い、献饌行事(神様にお供え物を手次ぐ行事)やたくさんの人々が玉串をお供えする時などに使用されます。

      岡山市での公開演奏会(大正15年6月)
      中正楽第三 金光教の祭典では、主に祭員参向に使用される音楽です。
      典楽に使用される楽器すべてで演奏されています。

      中正楽の演奏風景



      本部広前月例祭での奏楽
       無声の小曲群については、次第毎に、さまざまな形式と編成による曲目がありますが、どれもが小編成の厳かで静かな曲目となっています。
       代表的なものは、「玉串曲」でしょう。以前は、「音取」と呼ばれていました。「音取」は、雅楽の演奏時において、本曲に入る前に楽器毎の調子あわせを兼ねて演奏される小曲ですが、典楽はその形式のみを取り入れて、祭主が玉串をお供えする際に演奏する曲として作られています。
      使用する楽器は、笙、篳篥、龍笛の3管が主に使用されますが、時として神楽笛、和琴が入ることもあります。
      天の戸 金光教の祭典では、主として開帳行事に使用される曲です。
      和琴、篳篥、神楽笛と尺拍子で演奏されます。
      菅掻第一段 金光教の祭典では、主として祭主が祭詞奏上のために神前に
      進み出る時に使用する曲です。笙と箏で演奏されます。
      玉串曲第一 上の説明のように、祭主が玉串をお供えする際に演奏する
      曲です。笙、篳篥、龍笛で演奏されます。