音律を考える 下無のささやきA
2021/9/12 |
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「徒然草」第二百十九段が指摘する通り、龍笛の「テ」(平調)と「五」(下無)の間には、音孔こそないが「勝絶」という音律が隠されている。それに対して「五」と「上」(双調)の間には十二律に当てはまる音がない。十二律とは、1オクターブを12の半音で割ったものなので、言葉を変えれば「テ」と「五」の音程差は全音(半音二つ)なのに対し「五」と「上」の音程差は、半音一つとなっていることに注目したい。全音から半音という音程の変化があるにもかかわらず龍笛の音孔の配置はそのようには配慮されていない。したがってその変化を吸収するのは、吹き手の技量ということになる。ここらへんに、「五」の音を吹き合わせる上での難しさがあるように思えてならない。 もちろん、これのみで、「五」の音孔の吹き難さの理由とはならないが、龍笛において全音と半音の違いが出てくる音孔は、「テ」「五」「上」の並びだけであり、その他の音孔はみな全音幅となっている。この全音と半音の吹き難さの理由の一つにはなり得ると思うのだが・・・。
もっとも、洋楽のよの字もなかった鎌倉時代に「五の音は吹きづらい」という話をしているのだから、まったくのはずれであろうか。でも、知らず知らずのうちに、「ドレミ」の音階に侵されていることは間違いない。 ちなみに、このファを半音上げた「ドレミファ#」というのは、「リディアン」と呼ばれる古い音階(というか旋法)なのだそうだ。むしろこの「リディアン」のほうが、かつてはポピュラーな音階だったという。 雅楽は、古来に生まれ、音楽的な展開を見せぬまま連綿と今日に伝承されてきた、いわば稀有な音楽だと言える。この下無=ファ#=F#を使用することが、もしかすると古代の響きにつながる鍵なのかもしれない。その意味で、下無は「俺をうまく鳴らせてくれ」と声高に叫ぶのではなく、控えめにささやいている、のではと思えてしまうのだ。 ※ 本記述は、本HP管理人の私的なものであり、典楽会としてのの公的な見解ではありません。
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