音律を考える 下無のささやきA

2021/9/12
 
 龍笛の音孔(右側が吹き口)
左に行くに従い音孔間隔が狭くなっている。この写真では、「中」「タ」間
は3cmに対し、「テ」「五」間は2cmであり、どの音孔間も偏りなく狭
まっていることがわかる。


「徒然草」第二百十九段が指摘する通り、龍笛の「テ」(平調)と「五」(下無)の間には、音孔こそないが「勝絶」という音律が隠されている。それに対して「五」と「上」(双調)の間には十二律に当てはまる音がない。十二律とは、1オクターブを12の半音で割ったものなので、言葉を変えれば「テ」と「五」の音程差は全音(半音二つ)なのに対し「五」と「上」の音程差は、半音一つとなっていることに注目したい。全音から半音という音程の変化があるにもかかわらず龍笛の音孔の配置はそのようには配慮されていない。したがってその変化を吸収するのは、吹き手の技量ということになる。ここらへんに、「五」の音を吹き合わせる上での難しさがあるように思えてならない。
 もちろん、これのみで、「五」の音孔の吹き難さの理由とはならないが、龍笛において全音と半音の違いが出てくる音孔は、「テ」「五」「上」の並びだけであり、その他の音孔はみな全音幅となっている。この全音と半音の吹き難さの理由の一つにはなり得ると思うのだが・・・。

 洋楽・雅楽振動数対照表
洋楽 雅楽
ド(C) 516 509  神仙 
シ(B) 483 483 盤渉
ラ(A) 430 430 黄鐘
ソ(G) 387 382 双調
ファ(F#) 344 362 下無
ミ(E) 323 322 平調
レ(D) 290 286 壱越
ド(C) 258 254 神仙
※洋楽ラ(A)を430HZとして
引用文献 押田良久『雅楽への招待』
  次に、洋楽・雅楽振動数対照表を見てもらいたい。この表は洋楽の「ラ」と雅楽の「黄鐘」を430ヘルツにして音階の違いを比べたものだ。(押田良久『雅楽への招待』128頁より)著者は、雅楽律での音階と、洋楽の音階(いわゆるドレミファ)に比べ、音階自体にばらつきが有り、とりわけ「下無」では18ヘルツもの違いがでる。したがって、雅楽のメロディを洋楽の五線譜であらわすことは出来ない、と結論している。
 思えば、我々は幼い頃から西洋の音楽教育を受けてきた。口ずさんだりするメロディは自然とドレミファの音階なのだろう。そうした中で雅楽や中正楽の音の調べを、ピッチの問題は別にして無意識に洋楽の「ドレミ」に置き換えているのではないか、と思ったりする。「ドレミ」の1オクターブ内で半音となるのは2か所、そう「ファ」と「シ」だ。雅楽で言えば、「神仙」を仮に「ド」とすれば、「壱越」が「レ」で龍笛の音孔名は「六」、「平調」が「ミ」で龍笛の音孔名は「テ」となる。そして「ファ」はというと「五」ではなく龍笛の音孔にはない「勝絶」の音であり実際の「五」の音孔はそれより半音い音なのだ。ところが我々はメロディとして「ドレミファ」を覚えている。「ドレミ」とくれば「ファ」はごく自然に半音程で歌ってしまう。これが「五」が低くなる理由にはならないものか・・。

 もっとも、洋楽のよの字もなかった鎌倉時代に「五の音は吹きづらい」という話をしているのだから、まったくのはずれであろうか。でも、知らず知らずのうちに、「ドレミ」の音階に侵されていることは間違いない。
 ちなみに、このファを半音上げた「ドレミファ#」というのは、「リディアン」と呼ばれる古い音階(というか旋法)なのだそうだ。むしろこの「リディアン」のほうが、かつてはポピュラーな音階だったという。
 雅楽は、古来に生まれ、音楽的な展開を見せぬまま連綿と今日に伝承されてきた、いわば稀有な音楽だと言える。この下無=ファ#=F#を使用することが、もしかすると古代の響きにつながる鍵なのかもしれない。その意味で、下無は「俺をうまく鳴らせてくれ」と声高に叫ぶのではなく、控えめにささやいている、のではと思えてしまうのだ。

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